西國三十三番順禮歌 日本歌謠集成 巻四
昭和3年(1928)

順礼歌:

日本歌謡集成 現在
一番 紀伊國那智山如意輪堂 青岸渡寺
普陀落や岸打つ浪はみ熊野の
 那智のお山にひびく瀧つ瀨。
二番 紀伊國紀三井寺 金剛宝寺
ふるさとをはる〴〵[1]こゝに紀三井寺
 花の都も近くなるらむ。
三番 紀伊國粉河寺 粉河寺
父母のめぐみも深き粉河寺
 佛の誓たのもしきかな。
四番 和泉國槇尾寺 施福寺
み山路や檜原松原分け行けば
 槇尾寺に駒ぞ勇める。
五番 河内國藤井寺 葛井寺
まゐるより賴みをかくる藤井寺
 花のうてなに紫の雲。
六番 大和國壺阪寺 南法華寺
岩をたて水をたゝへて壺阪の
 にはのいさごも淨土なりけり。
七番 大和國岡寺 岡寺
けさ見れば露岡寺のにはの苔
 さながら瑠璃の光なりけり。
八番 大和國泊瀨寺 長谷寺
いくたびも參る心ははつせ寺
 山も誓もふかき谷川。
九番 奈良南圓堂 南円堂(興福寺
春の日は南圓堂にかゞやきて
 三笠の山にはるゝうす雲。
十番 山城國宇治御室戸千手 三室戸寺
夜もすがら月を御室と分け行けば
 宇治の川瀨に立つは白浪。
十一番 山城國醍醐堂 上醍醐 准胝堂(醍醐寺
逆緣ももらさで救ふ願なれば
 巡禮堂はたのもしきかな。
十二番 近江國岩間寺 正法寺
水上はいづくなるらん岩間寺
 岸打つ浪か松風の音。
十三番 近江國石山寺 石山寺
後の世を願ふ心は輕くとも
 佛の誓重き石山。
十四番 大津三井寺 三井寺
いつ入るや浪間の月は三井寺の
 鐘のひびきに明くる湖。
十五番 山城國今熊野 今熊野観音寺
昔よりたつとも知らぬ今熊野
 佛の誓あらたなりけり。
十六番 京の淸水寺 清水寺
松風や音羽の瀧は淸水の
 むすぶ心は凉しかるらむ。
十七番 山城國六波羅 六波羅蜜寺
重くとも五つの罪はよもあらじ
 六波羅堂に參る身なれば。
十一番[2] 山城國六角堂 六角堂 頂法寺
わが思ふ心のうちは六つのかど
 ただまろかれと祈るなりけり。
十九番 山城國革堂 革堂 行願寺
花を見て今は望もかう堂の
 にはのちぐさも盛りなるらむ。
二十番 山城國良岑寺 善峯寺
野をもすぎ山路に向ふ雨の空
 良岑よりもはるゝ夕立。
二十一番 丹波國穴生寺 穴太寺
かゝる世に生れあふ身のあなうやと
 思はでたのめ十聲一聲。
二十二番 津國惣持寺 総持寺
おしなべて高きいやしき[3]そうじゝの
 佛の誓たのまぬはなし。
二十三番 津國勝尾寺 勝尾寺
重くとも罪に祈るは勝尾寺かちをでら
 佛を賴む身こそやすけれ。
二十四番 津國中山寺 中山寺
野をも過ぎ里をも過ぎて中山の
 寺へ參るも後の世の爲。
二十五番 播磨國淸水 播州清水寺
あはれみや普きかどにしな〴〵の
 なにをかなみのこゝに淸水。
二十六番 播磨國法華寺 一乗寺
春は花夏はたちばな秋は菊
 いつも絕えせぬ法の花山。
二十七番 播磨書寫山 圓教寺
はる〴〵と登れば書寫の山おろし
 松のひびきもみのりなるらむ。
二十八番 丹後國成相寺 成相寺
波の音松のひびきもなりあひに
 風吹きわたる天の橋立。
二十九番 丹後國松尾寺 松尾寺
そのかみは幾代へぬらん便りをば
 千と世をここにまつのをの寺。
三十番 近江國竹生島 宝厳寺
月も日も波間に浮ぶ竹生島
 舟に寳をつむこゝろせよ。
三十一番 近江國長命寺 長命寺
やちとせや柳に長きいのち寺
 はこぶ歩みのかざしなるらむ。
三十二番 近江國觀音寺 観音正寺
あらたふと導き給へ觀音寺
 遠き國より運ぶあゆみは。
三十三番 美濃國谷汲寺 華厳寺
よろづよの誓をこゝに賴みおく
 水は苔より出づる谷汲。
(西國卅三番順禮緣起)
[1]縦書きで「」と書かれている踊り字(くの字点)部分が横書きでは表現できないので、「はる〴〵」と表記しています。
[2]明らかに「十八番」の誤植ですが、原文通り「十一番」と表記します。
[3]ここでは「高き賤しき」(=身分の高い高貴な人も身分の賤しい庶民も)ですが、現在は「老いも若きも」に置き換わっています。 時代に合わせて御詠歌も変化するのですね。
他の寺院の御詠歌にも、現在とは異なる用語や言い回しの変化が見られます。

更新日:2024/05/17