洛陽七處觀音 山城名勝志 宝永2年(1705)
原典:嚢鈔
山城名勝志
嚢抄)
現在
○洛陽七處觀音
嚢抄云
六角堂 頂法寺(六角堂)
革堂 行願寺(革堂)
河﨑 「感応寺[1]」廃寺 /河崎観音は清和院
中山 「吉田寺[2]」廃寺 /吉備観音は金戒光明寺
※ 寛文8年(1668)
長樂寺 長楽寺
六波羅密寺 六波羅蜜寺
清水寺 清水寺
[1]感応(かんおう)寺は一条河崎観音寺とも称し上京区梶井町付近にありましたが、享禄4年(1531)に焼失し、後世清和院に合併されたと伝えられています。
平安〜安土桃山の頃を描いたとみられる「中古京師内外地図」では、賀茂川西岸に「河サキ堂観音(=感応寺)」が描かれています。
[2]吉田寺は吉田中山(金戒光明寺の西方)にありました。 『吉備観音』は、吉備真備が刻ませた千手観音で吉田寺の本尊でしたが、寛文8年(1668)に吉田寺が廃寺となったため、徳川幕府の命で金戒光明寺へ移されました。

更新日:2022/10/05