七佛藥師 山城名勝志 宝永2年(1705)
原典:薩戒記 応永32年(1425)
山城名勝志(薩戒記) 現在
○蓼蔵藥師堂 〔号法雲寺薩戒記云 法勝寺北也 今在岡﨑村
薩戒記云 永享十一年<略>
又云 應永卅二年八月四日今日内臣七人為メニ御悩御祈七佛藥師
八幡 護國寺 「護国寺[1]」廃寺 /男山の厄除け薬師は東山寺
※ 明治初年の神仏分離
延暦寺 根本中堂 延暦寺 根本中堂
東寺 東寺/金剛薬師
太秦 廣隆寺 広隆寺
法界寺 日野 法界寺/日野薬師(乳薬師)
蓼倉 法雲寺法勝寺北也 「法雲寺[2]」廃寺 /蓼倉薬師
※ 大正5年(1916)以降
因幡堂 平等寺/因幡薬師
[1]都名所図会(巻之五)」の石清水正八幡宮の項に以下の記述があります。 「薬師堂 護国寺といふ ・・・ 本尊は立像の薬師なり」 護国寺の廃寺に伴い、薬師如来像と十二神将像の計13体の仏像は淡路島の東山寺(とうさんじ)へ移されました。
[2]拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「蓼倉(たでくら)薬師 満願寺の北に隣る 本尊は伝教大師の作 坐像一尺余 ・・・ 故に蓼倉山(れいさうさん)法雲寺と号す」

更新日:2022/10/05