十二藥師 | 雍州府志 貞享元年(1684) |
雍州府志 | 現在 | |
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1 | 本興寺[1]芝ノ石藥師[2] | 大興寺/芝(しばの)薬師
※ 元禄6年(1693)、京極今出川から現在地へ移転 |
2 | 真如堂 石薬師堂/石薬師
※ 元禄6年(1693)、京極今出川から現在地へ移転[3] |
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3 | 昆陽寺ノ藥師[4] | 廬山寺/小屋の薬師 |
4 | 福勝寺ノ藥師 | 福勝寺/峰薬師
※ 宝永5年(1708)の焼亡後、現在地へ移転 |
5 | 誓願寺ノ藥師 | 誓願寺/薬師如来像は三重塔とともに天明8年(1788)焼失 |
6 | 圓福寺ノ藥師 | 永福寺[5]/蛸薬師 |
7 | 雙林寺ノ藥師 | 双林寺/東山薬師 |
8 | 因幡堂ノ藥師 | 平等寺/因幡薬師 |
9 | 布袋藥師 | 大福寺/菩提(ぼたい、ほてい)薬師 |
10 | 粉糠藥師 | 薬師院/こぬか薬師 |
11 | 北野德松院ノ藥師 | 「徳勝院[6]」廃寺へ
※ 明治初年の神仏分離 |
12 | 祇園觀慶寺ノ藥師 | 「観慶寺[7]」廃寺 /薬師如来像は大蓮寺へ
※ 明治初年の神仏分離 |
[1] | 「本興寺」は「大興寺」の誤記と思われますが、原文のまま表記します。 |
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[2] | 「芝石薬師」は「芝薬師」+「石薬師」の誤記(「石薬師」を一般名詞と勘違い?)で、他の古文書との比較から真如堂が欠落していると推測しています。 |
[3] | 京都御苑の北東にある石薬師門、石薬師通、真如堂前町、真如堂突抜町などの名称・地名は、当時、京極(寺町通)今出川下ルにあった真如堂と石薬師に由来します。 |
[4] | 伊丹市の地名「昆陽」は「こや」と読み、北区大将軍川端町の地蔵院(通称・椿寺)の山号「昆陽山」も「こやさん」と読みます。 このことから、「小屋薬師」→「昆陽薬師」→「昆陽寺」の変化が生じたと推測しています。 |
[5] | 永福寺は、天正19年(1591)頃から円福寺に合併されていましたが、現在は再び永福寺として独立し、蛸薬師がご本尊となっています。 |
[6] | 元禄6年(1693)頃の洛中を描いた「洛中絵図」を見ると、北野天神の東側(現・上京区社家長屋町)に「徳勝院」があります。 「徳勝院」は北野三宮司の一つで、明治維新の神仏分離で「松梅院」「妙蔵院」とともに廃されました。 |
[7] | 観慶寺(かんぎょうじ)は別名を祇園寺と言い、その寺域内にあった天神堂がのちの祇園社(八坂神社)となりました。 「花洛名勝図会(東山之部一 )」の祇園社の項に以下の記述があります。 「観慶寺 本殿の西にあり 薬師堂といふ」 |
更新日:2022/02/04