三十三所観音 雍州府志 貞享元年(1684)
雍州府志 現在
近世准西国三十三所觀音巡禮 而於内外三十三所 兒女甚便所謂
1 頂法寺六角堂 六角堂
2 京極長吟寺 「長金寺[1]」廃寺 /一言観音は誓願寺
※ 明治時代
3 下御霊行願寺革堂[2] 下御霊神社 /観音像は成円寺[3]
4 行願寺
5 新長谷寺 新長谷寺
6 吉田寺 「吉田寺[4]」廃寺 /吉備観音は金戒光明寺
※ 寛文8年(1668)
7 [5]
8 高臺寺門前觀音 七観音院」廃寺?[6]
9 南隣青龍寺 青龍寺
10 清水坂地蔵院 善光寺堂
11 清水寺 清水寺 本堂
12 千手堂 清水寺 奥の院
13 朝倉堂 清水寺 朝倉堂
14 泰産寺 泰産寺
15 六波羅密寺 六波羅蜜寺
16 愛宕 愛宕念仏寺
17 蓮華王院 蓮華王院
18 泉涌寺中楊貴妃觀音 泉涌寺/楊貴妃観音
19 善應寺 善能寺
20 同所イマ熊野 今熊野観音寺
21 法性寺 法性寺
22 九條浄光寺 城興寺
23 東寺 東寺
24 松原大宮長延寺 長円寺
25 松原妙壽院 一音寺[7]
※ 平成2年(1990)以前に現在地へ移転[8]
26 大宮祥雲寺 正運寺
27 北野觀音寺 観音寺
28 西京西蓮寺 西蓮寺
29 大将軍村長寶寺 「長宝寺[9]」廃寺 /観音像は成願寺[10]
※ 明治6年(1873)、神仏分離で三之保社として北野天満宮へ遷宮
30 同所地蔵堂 地蔵院
31 北野東向觀音 東向観音寺
32 金山天王寺 「天王寺[11]」廃寺 /如意輪観音像は廬山寺
※ 明治7年(1874)、廬山寺と合併
33 清和院 清和院
[1]都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長金寺は誠心院の西向ひなり 一言堂といふ 本尊十一面観音は弘法の作」
[2]原文は「下御霊行願寺革堂」で1ヶ寺のように読めますが、他の古文書情報から「下御霊社」「側行願寺革堂」の2ヶ所と判断しました。
[3]田中緑紅編の「京のおもかげ」(1931-1937年刊)の続篇下37に「成円寺に残る下御霊観音堂 (大宮蛸薬師成円寺)」の記録があり、また成円寺の門前には「洛陽 三番正観音 六番地蔵尊 成圓寺」と書かれた石標があります。
[4]吉田寺は金戒光明寺の西方の吉田中山にありました。 吉備観音は吉備真備が刻ませた千手観音で吉田寺の本尊でしたが、寛文8年(1668)に吉田寺が廃寺となり、徳川幕府の命で金戒光明寺へ移されました。
平安〜安土桃山の頃を描いたとみられる「中古京師内外地図」では、吉田山の西と南の2ヶ所に「吉田寺」が描かれていますが、南の吉田寺が該当の中山観音堂のようです。
[5]他の古文書情報から、「長楽寺」の記述が欠落していると推測しています。
[6]七観音院は2018年に法人番号が更新されていますが、門や堂宇がすべて取り壊され、現在は更地になっています。
[7]他の古文書情報と所在地から、「妙寿院」=「一音寺」と推定しました。
[8]昭和26年(1951)頃の京都を示した「京都市明細図」を見ると、五条天満宮(天使社)の西隣、下京区天神前町343に「一音寺」があり、 現在は跡地に平成3年(1991)8月完成のマンションが建っています。
伏見区深草谷口町にある真言宗醍醐派の一音寺が、天使山の山号をもつことから、移転先の同一寺院とみています。
[9]拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「長宝寺 大将軍の西にあり 本尊十一面観音は菅神の御作にて 」
[10]成願寺の長寳堂には「洛陽廿九番 長寳寺」の扁額が掲げられています。 なお、右京区花園艮北町5の成願寺(北野天満宮七保のひとつ七之保社)とは別の寺院です。
[11]都名所図会(巻之六)」の中に以下の記述があります。 「金山天王寺は北野社東の門通にあり 天台宗にして本尊如意輪観音は聖徳太子の作なり」

更新日:2022/02/04