六勝寺 雍州府志・巻四 貞享元年(1684)
雍州府志 現在
1 法勝寺 承暦元年十二月二十八日[1] 白河帝行幸有供養 廃寺
※ 天正18年(1590)、西教寺に併合
2 尊勝寺 法勝寺西 康和四年七月二十一日供養 堀河帝行幸 廃寺
3 圓勝寺 文治[2]三年三月十三日供養 待賢門院 御幸 廃寺
※ 応仁の乱(1467-1477)
4 最勝寺 尊勝寺東 文永[3]元年十月二十七日供養[1] 鳥羽院行幸 廃寺
※ 応仁の乱(1467-1477)
5 成勝寺 保延五年十月六日供養[1] 崇德帝行幸 成勝寺[4]
※ 元和7年(1621)に江戸へ、昭和3年(1928)に現在地へ移転
6 延勝寺 久安五年三月二十日供養 近衛帝行幸 廃寺
※ 応仁の乱(1467-1477)
[1]他の古文書と日付が異なっています。
[2]「文治」は「大治」の誤記ですが、原文通り表記します。
[3]「文永」は「元永」の誤記ですが、原文通り表記します。
[4]京都坊目誌」は応仁の乱で廃寺になったと記していますが、保元の乱で敗れ流罪の末に怨霊となったと伝えられる崇徳上皇の御願寺という特異な性格のため、年を経ても繰り返し再興されたのでしょう。

更新日:2014/11/1600