七觀音 | 雍州府志 貞享元年(1684) |
雍州府志 | 現在 | |
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1 | 革堂 | 行願寺(革堂) |
2 | 河崎 | 「感応寺[1]」廃寺 /河崎観音は清和院へ |
3 | 吉田寺 | 「吉田寺[2]」廃寺 /吉備観音は金戒光明寺へ
※ 寛文8年(1668) |
4 | 清水寺 | 清水寺 |
5 | 六波羅密寺 | 六波羅蜜寺 |
6 | 六角堂 | 頂法寺(六角堂) |
7 | ?[3] | ? |
[1] | 感応(かんおう)寺は一条河崎観音寺とも称し上京区梶井町付近にありましたが、享禄4年(1531)に焼失し、後世清和院に合併されたと伝えられています。
平安〜安土桃山の頃を描いたとみられる「中古京師内外地図」では、賀茂川西岸に「河サキ堂観音(=感応寺)」が描かれています。 |
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[2] | 吉田寺は吉田中山(金戒光明寺の西方)にありました。 『吉備観音』は、吉備真備が刻ませた千手観音で吉田寺の本尊でしたが、寛文8年(1668)に吉田寺が廃寺となったため、徳川幕府の命で金戒光明寺へ移されました。 |
[3] | 原文に6ヶ寺しか記載がありません。他の古文書情報から、「蓮華王院」の記述が欠落していると推測しています。 |
更新日:2014/11/16