二十二社 下八社 |
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奈良・吉野の山中に鎮まる丹生川上神社。 創祀は675年。 平安時代の法令集『類聚三代格』によれば、「人の声の聞こえない深山・吉野の川上にわが宮を建ててまつれば、天下のために甘雨を降らせ、霖雨を止めよう」との神託を受け、天武天皇が創建した。
祭神・罔象女神は水をつかさどる神であり、丹生川上神社は、雨師明神とも称され、祈雨・止雨の神として朝廷から尊崇を受けた。 その際、供え物とともに、祈雨には黒馬、止雨には白馬(または赤馬)が献上されたという。 平安期には、京都の貴船神社とともに厚く信仰されており、763年から応仁の乱のあった1467年までの間に朝廷による祈雨止雨の祈願が96回行なわれたことが記録に残されている。
しかし戦国時代に入ると祈願は中断。 神社の所在地すらわからなくなってしまう。明治維新後の調査で1871年に丹生村(現在の下市町)にある神社が丹生川上神社とされるも、4年後の1875年には過去の文献との食い違いが発覚。 川上村の神社が本来の丹生川上神社だとし、前者を「下社」、後者を「上社」と改めることとなった。
ところが、1915年に東吉野村の蟻通神社こそが真の丹生川上神社とする説が唱えられ、内務省の調査により1922年にそのことが確定。 以降、3社合わせて丹生川上神社とし、蟻通神社だった丹生川上神社を「中社」に、社務所も中社に置かれることとなった。 戦後、3社はそれぞれ独立。 中社は丹生川上神社と社名を改めた。
出所:『日本の神社100選』から抜粋
更新日:2019/04/30