近畿三十六不動尊 第一番 |
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和宗 総本山 本尊 救世観音菩薩 |
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四天王寺は、四天王大護国寺と云い、昔から法花園、御津寺、難波寺等と呼ばれ、用明天皇の二年(587)聖徳太子は蘇我馬子と共に、物部守屋を平定して、四天王をお祀りになったのがはじまりと云われ、その後、推古天皇元年(593)に、玉造の岸上(今の大阪城附近)から、いまのところへ移され、南に南大門、その北に中門、中門から回廊を東西に出して北折し講堂に連なり、この回廊の中に南寄りに五重塔、その北側に金堂を配した、いわゆる四天王寺式伽藍配置で、現状のような雄大なものであった。 国土安穏、鎮護国家の祈願道場であり、また外交上、軍事上重要な使命を持っていたようである。
さて、この広い境内、大きな建物が立ち並び、大樹が点在するところ、お不動様はどこにいらっしゃるのか。 講堂と六時堂の間に石舞台があり、その東側、少し低くなったところに亀井堂がある。 堂の中央の下に大きな石亀の水盤があり、亀の口から霊水を出している。 この水は、金堂下の青竜池から流れ出る玉出の水で、亀井水と云い、彼岸には回向を済ました経木を流すので、誰でも知っている。 この堂の南側に、昭和五年建立の小さな不動堂があり、水かけ不動尊(亀井不動)をお祀りしている。 法善寺横丁の水かけ不動と共に有名であり、大きなお寺の小さい不動様としてこの水かけ不動様を信仰し、願をかける人々が多く、お祭りの日等は、なかなか近くでお参りできない程である。
もう一体、本坊の御唐門入口の右側にも立っておられる。
出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋
更新日:2018/11/02