祇園祭 山鉾巡行 後祭 |
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「下り観音山」ともいわれ、江戸時代は北観音山と隔年交替で巡行していたが、明治以来毎年出ることになり、後の祭の山鉾巡行の最後をしめくくる。
お祀りしてある楊柳観音は天明の大火(一七八八年)で罹災し頭部だけが残り、他の部分は後の補修である。 そのため像は宝冠をかぶりながら坐像という型になってしまっている。 脇侍には善財童子を配し、真木には松を用い、その下から二段目の枝に鳩が止まっている。 水引の舞楽図刺繍は土佐光孚(一七八〇〜一八五二)の下絵で、前掛けは異无須織と伝える華麗なペルシャ絹緞通の逸品である。 また胴掛けにはペルシャ花文の緞通が用いられている。 そのほか孔雀草花文インド更紗や貞享元年(一六八四)在銘の花文インド更紗等も保存している。 見送りは従来明時代の綴れ錦のものを使用してきたが、昭和六三年加山又造画伯原画による「龍王渡海」の綴れ錦の見送りが新調された。
出所:『南観音山』財団法人南観音山保存会駒札
更新日:2017/09/20