祇園祭 山鉾巡行 後祭 |
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「上り観音山」ともいわれ、後祭の先頭を行く。 文和二年(一三五三)創建であることが町内に残る古文書に記され、山の舞台には楊柳観音像と韋駄天像を安置する曳山で、天保四年(一八三三)に飾屋根を付けた。 破風下の木彫雲鶴は片岡友輔作、天水引は観音唐草と雲龍図を隔年で使用する。 金地異国祭礼行列図の下水引は中島来章の下絵、胴懸類は十七〜十八世紀の花文インド絨毯を用いていたが、近年、前・後懸は十九世紀のペルシャ絨毯、胴懸はトルキスタン絨毯に変更。 二番、三番水引は共に山鹿清華作の手織錦であったが、平成十八年(二〇〇六)より「赤地牡丹唐草文様綴織を二番水引に、「金地紅白牡丹文様唐織」を三番水引(復元新調)にと江戸時代の姿に戻している。 四隅の房掛金具は祇園守。 欄縁の唐獅子牡丹等錺金具の精巧さはこの山の華麗さを際立たせている。 見送には唐子嬉遊図を好んで使用していたが、現在は昭和六十一年購入の明末清初のものを用いている。
巡行時に柳の枝を差し出しているのは諸病を治してくれる楊柳観音にちなむ。
慶安四年(一六五一)の旧観音尊衣装花菱襷文様繻珍錦は大切に保管されている。
出所:『北観音山』京都市駒札
更新日:2017/09/20