祇園祭 山鉾巡行 前祭 |
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鉾の名は中国の戦国時代、斉の国の孟嘗君が鶏の声によって「函谷関」を脱出できたという故事にちなんで付けられている。 鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下には雌雄の鶏をそろえている。
屋根裏の金地彩色鶏鴉図は今尾景年(一八四五〜一九二四)の筆による。 重要文化財である旧前懸(平成十八年復元新調)は、旧約聖書創世記の場面を描いた十六世紀末の毛綴で、宵山の期間は町家にて展示。 水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸はモンゴルを含む中国近辺で製織された十六世紀の玉取獅子図や虎に梅樹図の絨毯や、十七世紀の中東連花葉文様インド絨毯を用いていたが、現在はその復元新調品。 見送には古くから弘法大師筆と伝えられる紺地金泥の金剛界礼懺文と、天保年間にこれを模織した立派なものとがあるが、最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調した。
この鉾は天明の大火(一七八八)で焼失、五十年後の天保十年(一八三九)に再興され、それ以後「嘉多丸」という稚児人形を用いる。
出所:『函谷鉾』京都市駒札
更新日:2017/09/20