洛陽観音碑・額 洛陽三十三所観音
三番 護浄院
五番 新長谷寺
五番 新長谷寺
六番 金戒光明寺
十番 善光寺堂
十番 善光寺堂
十三番 朝倉堂
十四番 泰産寺
十五番 六波羅蜜寺
十八番 善能寺
二十一番 法性寺
二十一番 法性寺
二十二番 城興寺
二十四番 長圓寺
二十四番 長圓寺
二十六番 正運寺
二十六番 正運寺
二十八番 中院
三十番 地蔵院
三十番 地蔵院
三十一番 東向観音寺
三十一番 東向観音寺
三十三番 清和院
旧三番 成円寺
旧十六番 愛宕寺
旧二十七番 観音寺
旧二十八番 西蓮寺
旧二十九番 長宝寺
碑文・文字 所在地
3
【正面】洛陽三番 准胝観音

【背面】平成十七年九月 建之
護浄院住職 昭稔代
施工 株式会社石留石材
護浄院(清荒神)
5 【正面】洛陽五番 新長谷寺 新長谷寺
5 洛陽
五番
6
【正面】洛陽第六番観音霊場

【左面】浄土宗 大本山
 くろ谷 金戒光明寺

【右面】きびくわんのん

【背面】平成十七年五月 寄進芳井秀教
金戒光明寺
10
【正面】洛陽
十番
如意輪觀世音菩薩

【右面】弘化四丁未年正月延命院
觀音講中

【左面】地蔵〓[1]
善光寺堂
10
洛 陽第十番
如意輪觀世音
地藏院[1]
13
【正面】洛陽十三番朝倉堂

【右面】らくやう
十三番
あさくらたう

【背面】弘化四丁未歳六月■■■
■■■

【左面】らくやう
十三番
あさくらたう
清水寺 朝倉堂
14
【正面】洛陽
十四番
子安觀世音菩薩

【右面】聖武天皇御建立
光明皇后御願所
泰産寺

【左面】弘化四丁未年正月延命院
觀音講中
泰産寺
15
【正面】西國十七番六波羅蜜寺

【左面】洛陽十五番 觀世音

【背面】洛陽廿三番
廿四番
地藏尊

【右面】■■院■[信]士
一■[院]■[信]士
菩提也
元禄十一[年] ■■■
六波羅蜜寺
18
【正面】日本㝡[2]初稲荷神石社

【左面】洛よう
十八番
ぜんのう寺

【右面】すぐ 大佛 清水

【背面】嘉永四辛亥年四月建之
善能寺
21
【正面】洛陽廿一番
やくよけ
觀世音菩薩
法性寺
21
洛陽二十一番
厄除千手千眼觀世音
かのきしゑ みのりの舟の ほうせうじ
しやうじのうみを やすくわたせる[3]
願主 鰕安
22
【正面】これよりにし らくやう廿二■

【左面】■■うこうし■ん■んみち

【右面】■■二年 ■■■■■
[施主]■中■■■ ■■■
十一月十七日
城興寺
24
【正面】洛陽廿四番長圓寺

【背面】[文化十四丁丑三月][4] ■■
長円寺
24
洛陽
第廿四番
聖觀世音菩薩
長圓寺
幾千代も つきぬえにしの 長圓寺
大悲のみてに つなかるゝみは
26
【正面】十一靣[5]觀世音

【右面】らくやう
廿六[は]ん
正うん[じ]
正運寺
26
【正面】洛陽
廿六番
觀世音

【左面】■■■ 正運寺
28
【正面】洛陽観音第二十八番札所

【左面】十一面観世音菩薩

【右面】壬生寺 中院

【背面】平成十七年七月吉祥日 現住俊昭建立
中院
30
【正面】洛陽三十番地藏院

【左面】文政十一年八月建之
地蔵院
30
【正面】洛陽三十番

【左面】觀音講中

【背面】享保十九[甲]
[寅]
歳九月十八日

【右面】紙[屋]川 地藏院
31
【正面】洛陽第三十壹番

【左面】觀世音寺
東向観音寺
31
洛陽三拾一番
ふみわけて に北野の 東向
心は西へ はこびぬるかな
33
【正面】洛陽第三十三番

【左面】勅願所清和院
清和院

3
【正面】洛陽三番正觀音[6]
六番地藏尊
成圓寺

【右面】明治二年
[己]巳二月

【左面】祇園新地小川屋■
■■   [藤]次中
成円寺

16
【正面】洛陽第十六番愛宕寺

【右面】ひぶせ 地藏尊
愛宕念仏寺

27
【正面】洛陽廿七番觀音寺

【左面】<未読>

【背面】嘉永元戊申四月 願■■■
観音寺

28
【正面】浄土宗
京雲山來迎院
西蓮寺

【左面】菅原道真公直作
十一面観世音菩薩
洛陽第廿八番
西蓮寺

29
洛陽廿九番
長寳寺[7]
丁■八月■■■■
成願寺 長宝堂
[1]明治の初め、地蔵院が善光寺如来堂と合併して善光寺堂と称されるようになりました。 削り取られた跡のある碑文の3文字目の〓は「院」だったと思われます。
[2]「㝡」は「最」の異体字です。
[3]霊場会HPには「御詠歌:かれきしに みのりのふねの ほうせいぢ じょうぢのうみを やすくわたせる」と書かれているのですが、私には「彼の岸へ 御法の舟の 法性寺 生死の海を 易く渡せる」と読めました。
[4]元写真を拡大して見ると、かすかにこのような文字が見えました。他の面にも文字があったように感じます。
[5]「靣」は「面」の異体字です。
[6]元は下御霊神社の観音像ですが、廃仏毀釈運動の際に成円寺へ移されました。 成円寺は平成17年(2005)に復活した現在の霊場会には参加されていません。
[7]長宝寺は明治6年(1873)に廃寺となり、観音像が成願寺に移されました。 成願寺は平成17年(2005)に復活した現在の霊場会には参加されていません。

更新日:2024/04/26