大乗妙典塔

 大乗妙典塔は日向地蔵堂の左手前にある石塔です。

 正面に「一字 一石 大乗妙典塔」、右側面に「安政五年戊午十月建之 陽泉亭德翁拜寫」の文字が刻まれ、この塔は陽泉亭徳翁居士の発願で安政5年(1858)に建立されたことがわかります。 廃仏毀釈でいったんは行方不明になりましたが、50年以上後に見つかり、昭和4年(1929)に元の位置に戻されました。 現在は平成30年(2018)の敷地整備で約2mほど後退した場所に移動しています。

 大乗妙典とは一般的に法華経(妙法蓮華経)のことを意味し、大乗妙典塔の下には法華経の文字の書かれた小石が収められています。 一字一石、つまり1つの石に1文字が書かれている[1]ので、仮に体積1ccの小石に法華経の全69,384文字が書かれているとすると、全部で
 69,384cc = 約69リットル = 一斗缶4杯弱
になり、向地蔵尊縁起にある「数斗の小石」の記述とイメージ的に一致したのですが、残念ながら実際に埋納されていた小石の数は210個あまりでした。  → 埋蔵物調査

 ところで、大乗妙典塔が建立された理由は何だったのでしょうか。 記録には徳翁居士の「功徳の真意」としかなく、それ以上の理由は書かれていません。 しかし、建立された安政5年(1858)という年代から推測することはできます。 時代が明治に移る直前の江戸時代末期は、嘉永6年(1853)の黒船来航以降、安政大地震[2]や台風による自然災害、安政5年(1858)の安政の大獄など、世の中を揺るがす不穏な出来事が相次いで起こっていました。 こうした時代背景のもと、庶民の安穏な暮らしを願って建立されたことは想像に難くありません。

 なお類似の塔に「大乗妙典一千部塔」「大乗妙典二萬部塔」などがあります。 これらは先祖供養や天下泰平などの目的で、法華経を一千回または二万回読誦した記念に建てられたものだそうです。


[1]厳密に1文字ずつ書かれているとは限らず、大きめの石に複数文字が書かれていることもあるようです。栄村秋山郷観光協会HP
[2]安政大地震は安政江戸地震だけを指すことが多いのですが、以下の一連の大地震の総称として使われることもあります。
嘉永7年6月15日(1854年7月9日) 伊賀上野地震
嘉永7年11月4日(1854年12月23日) 安政東海地震
嘉永7年11月5日(1854年12月24日) 安政南海地震
嘉永7年11月7日(1854年12月26日) 豊予海峡地震
安政2年10月2日(1855年11月11日) 安政江戸地震
安政3年7月23日(1856年8月23日) 安政八戸沖地震
安政5年2月26日(1858年4月9日) 飛越地震

更新日:2018/07/22