吉祥院天満宮詳細録 第三章 p66 - 73
|第三章 (7/9)|

天安三年貞観元年と同じ)吉祥丸様御年十五歳にて御元服ありて道真と名乗らる。 此時御母伴氏の行末を祝して読み給いしお歌に。

久かたの月の桂もおるばかり
家の風をも吹かせてしがな

と詠まれしも当地にてありしことなり。

是より後都良香の門に入り給ひしが都良香は吉祥丸様を門弟とせず。 学問の御相手として講じたり。 同年三月清和天皇御即位ありて貞観元年と改元せらる。 此の時より吉祥丸様には朝廷に御出仕ありて、此の地より御父公是善卿と共に御通勤あそばされ追々御立身成し給いしなり。

(一)菅家聖廟暦伝 干中
貞観元年己卯菅子十五歳春正月歳首節会等皆被止之天皇諒陰也 此月菅子加元服名道真字三故世称菅三也云々 菅子二十六歳春云々三月二十三日菅子対策及第先是母公嘗詠和歌曰  比左可多乃都幾乃加都羅毛於留波加里伊倍能加世於毛布可勢氏志我奈  至此挙対策及第桂林之枝云々』

(二)聖廟宗神伝上 干中
貞観元年首服是夜母大伴氏詠和歌以賀加冠其歌曰  比佐加多乃津幾乃加津羅毛於留婆加利以恵乃加勢遠毛布加勢天之加奈(歌意欲使公攀桂枝後果当及第四年五月十七日登科是日補文章生[1] 八年五月七日還文章得業生云々』

同年吉祥院[2]丸様には刑部福主公の四十の賀の願文を作らる。 此れ菅公として願文を作り給いし初めなり。

刑部福主四十賀願文
弟子福主白福主二毛始見八歳干一レ今壮年之質先衰強仕之期既及白日迫於晩歯残陽何以留之黄墟占於新居 長暮何以照之故黄紙漆字帰願言於最勝王経 白紵青蒲委身力於田衣草座 是以一句半偶耳傾於彼仙徒行道坐禅心資於茲法服 然則弟子生年死日都無思慮之労 妙果勝因必有安楽之報此功徳先霊恩父過去慈親掃塵界於梵風昏迷於慧日渡七水攀十山速証菩提倶成正覚

(一)右の願文菅家文草 干中

菅公御幼小の時代は吉祥丸様と申し上げしが御元服以後は当地里人は道真公とも申し上げず菅少将と申し上げたり。

(一)太平記十二巻 干中
『姓菅原名道真字三世称菅三幼少時御名曰菅少将

貞観二年菅少将御年十六歳の十月残菊の詩と題して詩作ありしも当地にてのことなり。

残菊詩
十月玄英至 三分歳候休 暮陰芳草歇
残色菊花周 為是開時晩 当発処稠
紅衰葉病 辞紫老茎惆 露洗香難
霜濃艶尚幽 低迷馮砌脚 倒悪映欄頭
霧掩紗灯点 風披匣麝浮 蝶栖猶得
蜂採不秋 己謝陶家酒 将随灑水流
愛看寒晷急 秉燭豈春遊

(一)右の詩菅家文草 干中

菅少将御年十七歳の二月釈奠の時孝経を講ずるを聴き又資父君に事ふることを賦す詩を作られたり。

仲春之日初丁大マ有干孔廟釈奠也 籩豆之事則有存之芯芬之儀則鬼神享之礼云礼云可各目以言矣於是円冠撙節慱帯摳衣命夫君子之儒其古文之典言在簡憲章之干魯堂中 敷説如流擬議干洙水之上 故能志於道於徳経猶有三千其草其書聖魯未咫尺夫孝事親之名経為書之号謂之義者旁観地理之行者俯察人文 是以膺籙受図之貴非孝 無以約左竜菽飲水之卑非孝 無以拠懸象子諒之心孫謀之詠之於百行此一経者也 観其一草一木匈甲於和風之前 及父及兄無燕毛於観学之後 済済焉鏘鏘焉者治之世其猶鏡容乎 况亦資慈父以事聖君君父之敬可同孝子之門必有忠臣 臣子之道何異然則掦名之義可益於北闕之臣 刑国之儀豈失問於南垓之子 願録三綱之無一レ爽将叙五教之在一レ云爾
謹序
虫偏得意至孝自成人換白何輊死舎丹在親王生猶有母曽子豈非臣若向公庭論応知両取

(一)右の詩菅家文草 干中

斯の如く忠孝の根髄をとき給うを見ても如何に御誠忠御至孝の御精神なることを知るに足る。 菅少将御年十八歳時貞観四年四月上旬なり、田口達音の挙に応ずるに臨み毎日詩を作ることを試み給いしもの数十首あれども其の二三をあぐれば左の如し。

得赤虹篇一首
陰陽爕埋自多功 気象裁成望赤虹
眼悠々宣雨後 廻頭眇々在天東
炎涼有序知盈縮 表裏無私弁始終
十月取時仙雪綘 三春見処夭桃紅
雲衢暴錦星辰織 鳥路成橋造化工
千丈綵憧穿水底 一条朱旆掛空中
初疑碧落留飛電 漸談炎洲颺暴風
遠影嬋娟猶火剣 軽形曲橈便彤弓
如今肖是枢星散 宿昔何分貫日忽
問着先為黄玉宝 刻文当使下二[3]孔丘

得詠青一首
正色重冥定 生民万里睇
書仙鳥止 干呂瑞雲低
馬倦経丘岳 車疲過坂泥
雨晴山頂遠 春暮草頭斉
井記鳧張翅[4] 田看鶴作蹊
水衣苔自織 天鑑霧無
髣髴佳人家 潺渓道士渓
鋪蒲今未奏 絞竹古応稽
故意霞猶聳 新名石欲
明経如芥 廻眼好提撕

得躬桑一首
官闈修内礼 春事記躬桑
候節時無誤 斎心採不
鈎留枝掛月 粉落葉疑
手頻鳴珮 低頭更満
和風桃李質 暖気綺羅粧
願助飢蚕養 成功供廟堂

得折楊柳一首
佳人芳意苦 楊柳先〓[5]折 応手麹塵軽
顔青眼潔 涙迷枝上露 粧誤絮中雪
纎指柔英断 低眉濃黛刷 葉遮〓[6]更乱
糸剪腸倶絶 若有人羌音 誰堪行子別[7]

(一)右の四詩菅家文草 干中

[1]返り点「一」の記載漏れと思われます。
[2]「院」は余分な誤記と思われます。
[3]返り点「下」は余分な誤記と思われます。
[4]返り点「二」「一」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[5]〓は[樊]の下に[糸]を組み合わせた漢字です。
[6]〓は[髟]の下に[衆]を組み合わせた漢字です。
[7]返り点「一」の記載漏れと思われます。

更新日:2021/01/09