吉祥院天満宮詳細録 第三章 | p66 - 73 |
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天安三年(貞観元年と同じ)吉祥丸様御年十五歳にて御元服ありて道真と名乗らる。 此時御母伴氏の行末を祝して読み給いしお歌に。
久かたの月の桂もおるばかり
家の風をも吹かせてしがな
と詠まれしも当地にてありしことなり。
是より後都良香の門に入り給ひしが都良香は吉祥丸様を門弟とせず。 学問の御相手として講じたり。 同年三月清和天皇御即位ありて貞観元年と改元せらる。 此の時より吉祥丸様には朝廷に御出仕ありて、此の地より御父公是善卿と共に御通勤あそばされ追々御立身成し給いしなり。
(一)菅家聖廟暦伝 干中
『貞観元年己卯菅子十五歳春正月歳首節会等皆被レ止之天皇諒陰也
此月菅子加二元服一名道真字三故世称二菅三一也云々
菅子二十六歳春云々三月二十三日菅子対策及第先レ是母公嘗詠二和歌一曰
比左可多乃都幾乃加都羅毛於留波加里伊倍能加世於毛布可勢氏志我奈
至レ此挙二対策及第一折二桂林之枝一云々』
(二)聖廟宗神伝上 干中
『貞観元年加二首服一是夜母大伴氏詠二和歌一以賀二加冠一其歌曰
比佐加多乃津幾乃加津羅毛於留婆加利以恵乃加勢遠毛布加勢天之加奈(歌意欲レ使三公攀二桂枝一後果当二及第一)
四年五月十七日登科是日補二文章生[1]
八年五月七日還二文章得業生一云々』
同年吉祥院[2]丸様には刑部福主公の四十の賀の願文を作らる。
此れ菅公として願文を作り給いし初めなり。
為二刑部福主一四十賀願文
弟子福主白福主二毛始見八二歳干一レ今壮年之質先衰強仕之期既及白日迫二於晩歯一残陽何以留之黄墟占二於新居一
長暮何以照之故黄紙漆字帰二願言於最勝王経一
白紵青蒲委二身力於田衣草座一
是以一句半偶耳傾二於彼仙徒一行道坐禅心資二於茲法服一
然則弟子生年死日都無二思慮之労一
妙果勝因必有二安楽之報一
以二此功徳一先霊恩父過去慈親掃二塵界於梵風一破二昏迷於慧日一渉二渡七水一躋二攀十山一速証二菩提一倶成二正覚一
(一)右の願文菅家文草 干中
菅公御幼小の時代は吉祥丸様と申し上げしが御元服以後は当地里人は道真公とも申し上げず菅少将と申し上げたり。
(一)太平記十二巻 干中
『姓菅原名道真字三世称二菅三一幼少時御名曰二菅少将一』
貞観二年菅少将御年十六歳の十月残菊の詩と題して詩作ありしも当地にてのことなり。
題二残菊詩一
十月玄英至 三分歳候休 暮陰芳草歇
残色菊花周 為二是開時晩一 当レ因二発処稠一
染レ紅衰葉病 辞レ紫老茎惆 露洗香難レ尽
霜濃艶尚幽 低迷馮二砌脚一 倒悪映二欄頭一
霧掩紗灯点 風披匣麝浮 蝶栖猶得レ夜
蜂採不レ如レ秋 己謝陶家酒 将レ随灑水流
愛看寒晷急 秉レ燭豈春遊
(一)右の詩菅家文草 干中
菅少将御年十七歳の二月釈奠の時孝経を講ずるを聴き又資レ父君に事ふることを賦す詩を作られたり。
仲春之日初丁大マ有レ事二干孔廟一蓋釈奠也
籩豆之事則有存レ之芯芬之儀則鬼神享レ之礼云礼云可二各目以言一矣於レ是円冠撙節慱帯摳レ衣命二夫君子之儒一稽二其古文之典一立レ言在レ簡憲二章之干魯堂中一
敷説如レ流擬二議干洙水之上一
故能志二於道一拠二於徳一擁レ経猶有二三千一芸二其草一修二其書一去レ聖魯未二咫尺一夫孝事レ親之名経為レ書之号謂二之義一者旁観二地理一謂二之行一者俯察二人文一
是以膺レ籙受レ図之貴非レ孝
無三以約二左竜一啜レ菽飲レ水之卑非レ孝
無三以拠二懸象一至レ如二子諒之心孫謀之詠一
求二之於百行一不レ如二此一経一者也
観二其一草一木一不レ伐二匈甲於和風之前一
及父及兄無レ虧二燕毛於観学之後一
済済焉鏘鏘焉者治之世其猶二鏡容一乎
况亦資二慈父一以事二聖君一君父之敬可レ同孝子之門必有二忠臣一
臣子之道何異然則掦名之義可レ請二益於北闕之臣一
刑国之儀豈失二問於南垓之子一
願録二三綱之無一レ爽将叙二五教之在一レ寛云爾
謹序
懐レ虫偏得レ意至孝自成レ人換レ白何輊レ死舎レ丹在レ顕レ親王生猶有レ母曽子豈非レ臣若向二公庭一論応レ知両取レ身
(一)右の詩菅家文草 干中
斯の如く忠孝の根髄をとき給うを見ても如何に御誠忠御至孝の御精神なることを知るに足る。
菅少将御年十八歳時貞観四年四月上旬なり、田口達音の挙に応ずるに臨み毎日詩を作ることを試み給いしもの数十首あれども其の二三をあぐれば左の如し。
賦二得赤虹篇一首一
陰陽爕埋自多レ功 気象裁成望二赤虹一
挙レ眼悠々宣二雨後一 廻レ頭眇々在二天東一
炎涼有レ序知二盈縮一 表裏無レ私弁二始終一
十月取時仙雪綘 三春見処夭桃紅
雲衢暴レ錦星辰織 鳥路成レ橋造化工
千丈綵憧穿二水底一 一条朱旆掛二空中一
初疑碧落留二飛電一 漸談炎洲颺二暴風一
遠影嬋娟猶火剣 軽形曲橈便彤弓
如今肖是枢星散 宿昔何分貫日忽
問着先為二黄玉宝一 刻文当レ使下二[3]孔丘一通
賦二得詠青一首一
正色重冥定 生民万里睇
寄レ書仙鳥止 干レ呂瑞雲低
馬倦経二丘岳一 車疲過二坂泥一
雨晴山頂遠 春暮草頭斉
井記二鳧張翅二[4] 田看二鶴作蹊一
水衣苔自織 天鑑霧無レ迷
髣髴佳人家 潺渓道士渓
鋪蒲今未レ奏 絞竹古応稽
故意霞猶聳 新名石欲レ題
明経如レ拾レ芥 廻レ眼好提撕
賦二得躬桑一首一
官闈修二内礼一 春事記二躬桑一
候節時無レ誤 斎心採不レ遑
鈎留枝掛レ月 粉落葉疑レ霜
挙レ手頻鳴レ珮 低レ頭更満レ筐
和風桃李質 暖気綺羅粧
願助二飢蚕養一 成レ功供二廟堂一
賦二得折楊柳一首一
佳人芳意苦 楊柳先〓[5]折 応レ手麹塵軽
候レ顔青眼潔 涙迷枝上露 粧誤絮中雪
纎指柔英断 低眉濃黛刷 葉遮〓[6]更乱
糸剪腸倶絶 若有レ人羌音 誰堪二行子別[7]
(一)右の四詩菅家文草 干中
[1] | 返り点「一」の記載漏れと思われます。 |
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[2] | 「院」は余分な誤記と思われます。 |
[3] | 返り点「下」は余分な誤記と思われます。 |
[4] | 返り点「二」は「一」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[5] | 〓は[樊]の下に[糸]を組み合わせた漢字です。 |
[6] | 〓は[髟]の下に[衆]を組み合わせた漢字です。 |
[7] | 返り点「一」の記載漏れと思われます。 |
更新日:2021/01/09