吉祥院天満宮詳細録 第三章 | p73 - 80 |
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同年四月十四日父是善卿は菅少将をして学問の試験として当時瑞物讃六首をを[1]作らしめ給いしが甲、乙、丙の三段中甲の科を得られしを以て御及第ありて五月十七日文章生にならせ給えり。 御母堂の御心いかばかり嬉しくおぼされけりん。 これも当地にてありしことなり。
瑞物讃六首(各首十六字の定めなり)
第一濃洲上二言紫雲一
色濃是紫功好惟雲一時黙著仰聴唯君
第二礼部王献一[2]白鳩一
鳩呈二瑞色二[3]質巳如レ霜羽毛皎々日徳分レ光
第三美州献二白鷰一
美州白鷰羽翼惟奇初知二政理一廉潔相移
第四備州献二白雀[4]
新呈二白雀一巳異レ銜レ環鷹鸇莫レ畏近見二竜顔一
第五数州献二嘉禾一
嘉禾得レ地聖徳抽レ苗欲レ知二長養一雨露頻饒
第六郡国多献二木連理図一
丹青手沢連理存レ図献レ従二遠郡一枝葉寧枯
(一)右の詩菅家文草 干中
同年九月九日菅少将には御宴に侍り同賦二鴻雁来賓一各探二一字一得レ葦応レ製
御父是善卿は前記の如く清公卿薨後当菅原院を継ぎ給い吉祥丸様を御養育しつつ当地より朝廷に出仕遊ばされしが其の御事跡につきては多事に渉るを以て菅家聖廟暦伝を以て之れに代えんとす。
『承和十二年云々 戊寅天皇御二紫宸殿一召二大学博士学士菅原是善等一令二論義一訖賜レ禄有レ差此夜地震 九月重陽節天皇御二紫宸殿一賜レ宴令レ賦二九日洗レ蘭之題一是善預レ之宴竟賜レ禄各有レ差 同十三年丙寅菅子二歳 春正月癸卯朔壬戍[6]天皇内二宴於仁寿殿一公卿及詞客預レ事者五六人同賦二百華酒之題一是善預二其席一宴竟賜レ禄各有レ差云々 従五位下菅原朝臣是善為二兼越後助一文章博士如レ故 同十四年丁卯菅子三歳 春正月戊戍朔丁巳天皇内宴公卿献レ詩是善預レ之 夏五乙丑朔甲戍従五位下菅原朝臣是善為二兼東宮学士一云々 嘉祥元年戊辰菅子四歳 夏五月豊後奉二白亀一六月改二元喜[7]祥一赦二天下之罪人一群臣抗レ表賀二白亀之瑞一 秋七月備前献二白雀一 九月重陽日天皇如レ例宴二干紫宸殿一公卿文人同賦下雨洗二白菊一之題上各以応レ製菅原是善供二奉其席一宴訖賜レ禄各有レ差此月勅令レ鋳二新銭一 同二年己巳菅子五歳 春正月丙辰朔戊辰従五位下菅原朝臣是善為二兼讃岐権助一文章博士東宮学士如レ故云々 冬十月天皇行二干四十賀一皇太后及太子献レ物公卿文士奉二詩歌一是善預二其事一 同三年庚午菅子六歳 春正月有レ如二流星大似一レ月赤青経レ天落レ東 三月二十一日天皇崩二於清涼殿一 夏六月美作国献二霊亀一雪白可レ愛 冬十月乙巳朔正五位下菅原朝臣是善為二加賀権守一文章博士如レ故 仁寿元年辛未菅子七歳 秋八月河内国献二嘉禾一茎三穂一駿河国献二瑞草一紫葉朱茎或謂二之芝一 此月石見国言二甘露降一 同二年壬申菅子八歳 春正月戊辰朔己丑天皇觴二干近臣一命レ楽賦レ詩其預レ席者不レ過二数人一其一菅原是善也云々 六月菅原朝臣善主為二勘解由次官一 秋九月地震有レ声如レ雷 冬十一月菅原善主卒是従三位清公第三子也 同三年癸酉菅子九歳 春正月正五位下菅原朝臣是善為二大学頭一云々 冬十月是善奏請文章生未二出身一者及第之後不レ経二勘籍一預二考例一許レ之 斉衡元年甲戍菅子十歳云々 秋九月重陽節天皇御二南殿一賜二宴侍臣一命レ楽賦レ詩如二旧儀[4]大学士是善供二奉其席一 冬十月召二文章博士是善等数人於蔵人所一評二重陽節文人所レ上詩一 十一月左近衛府献二鯽魚一詔放二御池中一 十二月詔二諸国一奉二諸神干幣一告以二賀瑞之由一 同二年乙亥菅子十一歳 春正月戊子加下正五位下菅原朝臣是善於従四位下上云々 同三年丙子菅子十二歳 春正月乙丑内宴楽詩如レ例辛巳従四位下菅原朝臣是善為二左京大夫一文章博士如レ故 冬十一月大二抜於新成殿前諸陣警戒天皇進出二庭中一藤原良相跪授下部レ天祝板上在京大夫従四位下菅原朝臣是善捧二筆硯一天皇署二其諱一訖執班北面拝レ天乃遣二菅原是善等四人一向二河内国交野郡栢原野一設レ薀習礼祠官尽会云々
天安元年丁丑菅子十三歳 春云々二月遣二使内外諸名神社一賀二木連理由鹿等之瑞一是月改元為二天安一云々 夏五月甲辰菅原朝臣是善為二美作権守一文章博士左京大夫如レ故云々 同二年戊寅菅子十四歳 春正月巳酉従四位下菅原朝臣是善為二伊勢守一云々 秋八月丁未夜旗雲出是月天皇倉卒有二不予之事一病劇弥加言語不レ通入レ夜召二文章博士是善一令レ草二詔書一良房奉レ勅大辟巳下罪人咸従二赦免[4] 同月二十七日天皇崩二新成殿一同日受レ禅 冬十一月七日惟仁九歳即位幼帝始レ之外祖良房摂政是藤原氏摂政及之始也 貞観元年巳[8]卯菅子十五歳云々 夏四月辛丑改二元貞観一 五月渤海使者鳥孝慎来二干加賀国一時遣二安倍清行一賜二勅書一不レ入二京師一令レ帰レ国其時菅原是善修二勅書一云々 同三年菅子十七歳云々 秋八月天皇読二論語一春日雄継侍講又始勅二菅原朝臣一講二論語周易孝経等一云々 同四年壬午菅子十八歳云々 同(四)月十四日厳君令下菅子作中省試当時瑞物讃六首上 云々 同六年云々 此夜厳君是善味三後漢書為二良史一遂引二諸生一抜二授芸閣一云々 同八年云々 三月天皇幸二右大臣藤原良相西京邸一観二桜花一命二文人一賦二百花亭詩一預レ席者四人菅家父子預レ之云々』
[1] | 誤記ですが、原文通り「をを」と表記します。 |
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[2] | 返り点「一」は「二」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[3] | 返り点「二」は「一」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[4] | 返り点「一」の記載漏れと思われます。 |
[5] | 「歳(歲)」の誤記ですが、原文通り「蔵(藏)」と表記します。 |
[6] | 「戌」の誤記と思われますが、原文通り「戍」と表記します。以下、何箇所もあります。 |
[7] | 「嘉」の誤記と思われますが、原文通り「喜」と表記します。 |
[8] | 「己」の誤記ですが、原文通り「巳」と表記します。 |
更新日:2021/01/09