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(二五)第百十三代東山天皇寳永年中より第百二十一代孝明天皇慶應年間まで凡百七十年間當社境內に制札を立て置かれ京都諸司代交代の都度書き改めらるゝ例ありて此の制札現今四十一札あり左に記るす。
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一例を示せば
(外包紙) 制札 吉祥院 天滿宮境內
(中の文)
一、伐採竹木幷刈取下草事
一、諸殺生事 附放飼牛馬事
一、參詣之輩狼藉事
右條々任先例堅被停止之就若於有違犯之族者速可被處嚴科者也
正德五年七月三日 和泉守源朝臣花押
右の通りを厚き大なる木板に書寫して境內に建てしものなり。
下知の年月日左の如し。
附記 古記錄干中寳永年中よりとあれば回[1]年號のもの有るべきに見當らず一番最初の制札なれば貴重品なり。
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1、 | 正德五年七月三日 | 和泉守源朝臣花押 |
2、 | 享保三年十一月朔日 | 伊賀守源朝臣花押 |
3、 | 享保十九年十一月十一日 | 丹後守源朝臣花押 |
4、 | 寬保三年四月一日 | 備後守源朝臣花押 |
5、 | 寬延三年三月十五日 | 豊後守藤原朝臣花押 |
6、 | 寳曆二年八月廿五日 | 讃岐守源朝臣花押 |
7、 | 寳曆六年十月廿五日 | 左京大夫源朝臣花押 |
8、 | 同九年八月十六日 | 河内守源朝臣花押 |
9、 | 同十一年九月廿八日 | 伊豫守藤原朝臣花押 |
10、 | 明和二年二月五日 | 飛騨守阿部臣朝[2]花押 |
11、 | 同七年六月廿九日 | 大炊頭源朝臣花押 |
12、 | 安永七年二月三日 | 出雲守源朝臣花押 |
13、 | 天明二年二月廿三日 | 越中守源朝臣花押 |
14、 | 同五年二月七日 | 因幡守藤原朝臣花押 |
15、 | 同八年九月廿三日 | 和泉守源朝臣花押 |
16、 | 寬政元年閏六月 | 備中守源朝臣花押 |
17、 | 同九年四月 | 大藏大輔紀伊朝臣花押 |
18、 | 同十一年五月 | 備前守源朝臣花押 |
19、 | 享和二年二年[3] | 大炊守[4]藤原朝臣花押 |
20、 | 同三年五月 | 下野守藤原朝臣花押 |
21、 | 文化元年八月 | 丹後守越智宿禰花押 |
22、 | 同四年五月 | 播磨守阿部朝臣花押 |
23、 | 同十三年三月 | 加賀守藤原朝臣花押 |
24、 | 文政二年二月 | 和泉守源朝臣花押 |
25、 | 同六年三月 | 紀伊守藤原朝臣花押 |
26、 | 同八年十二月 | 周防守源朝臣花押 |
27、 | 文政十年七月 | 越前守源朝臣花押 |
28、 | 同十二年五月 | 伯耆守藤原朝臣花押 |
29、 | 天保二年十一月 | 備後守源朝臣花押 |
30、 | 同五年十月 | 伊豆守源朝臣花押 |
31、 | 同八年十月 | 大炊頭源朝臣花押 |
32、 | 同九年九月 | 下總守藤原朝臣花押 |
38[5]、同十二年二月 | 備前守源朝臣花押 |
34、 | 同十五年四月 | 若狹守源朝臣花押 |
35、 | 嘉永四年三月 | 紀伊守藤原朝臣花押 |
36、 | 同五年五月 | 淡路守藤原朝臣花押 |
37、 | 安政五年四月 | 美濃守藤原朝臣花押 |
38、 | 同六年三月 | 若狹守源朝臣花押 |
39、 | 文久三年二月 | 備前守源朝臣花押 |
40、 | 同三年十二月 | 長門守越智宿禰花押 |
41、 | 慶應元年閏五月 | 越中守源朝臣花押 |
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(二六)眞言宗惣本寺勸堂院より鳥居額面一個奉納。
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(二七)鳥石[6]山人より書聖王公の額面一個を奉納。
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(二八)叡山龍城沙門堯海より如來神力品(十卷の一)を奉納。
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(二九)賴道殿參詣せられし文に「天保辛巳[7]二月のころになん、聖廟へ詣でしが社頭に、さくら花の余多在て今ひと日二日をすこせばさかりにもならんとおもひにければ良く打見やりてむげにながむるもいと念なふ思ひて愚詠十首を連ねて石原雅君がもとへ申送り侍る。
賴道
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1、花ゆへに神にもさそなみしめ繩かゝる櫻をよ所にやは見ん。
2、さくもありさかぬもいまた在明の月にかすめるこの森のはな。
3、雲となり雪とまがひてきのふといひけふこそ花の盛なりけり。
4、この森の老木のさくら幾世へてことしもはなに若かへるはな。
5、咲はなに交るまつをこきませて錦をぬさと神に手向けむ。
6、すが原やいはほ苔むし神さひて夕へはつかに花ぞにほへる。
7、紙屋川流るゝ水にかけ見せていよ/\見かく花のすかたを。
8、こがねにも中々かえし山櫻朝日にうつるはなのけしきは。
9、咲つゝくさくらか本に席しめてさそなつもらん君ことの葉。
10、さくら花このはなのみかすへ長く千世も八千代もなを榮へかし。