吉祥院天満宮詳細録 第十章 | p347 - 351 |
|第十章 (10/20)| |
二 御開帳につきて
吉祥院天満宮古記録 干中
『天満宮 吉祥天女 並 霊宝等御開帳例書 天満宮御誕生所 吉祥院社』
一、元和四戍未[1]年四月八日より日数百日之間御当社天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免御開帳 社務石原若狭守定宗願
二、慶安三庚寅年四月十三日より日数百日之間御当社天満宮並霊宝等御赦免御開帳 同石原摂津守定隆願
三、同年八月廿五日より日数五十日之間大坂天満御社内天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免御開帳 右同断
四、承応元壬辰年二月十三日より日数五十日之間御当社天満宮七百五十年御忌に付天満宮吉祥天女並霊宝等御開帳 社務石原摂津守定隆願
五、万治二巳[2]亥年四月八日より日数百日間御社内
天満宮吉祥天女並霊宝等御開帳 右同断
六、延宝八庚申年四月朔日より日数八十日間江戸表に而御開帳
天満宮吉祥天女並霊宝等御開帳 社務石原伊予守定次願
七、(改元天和元年) 同九辛酉年八月廿五日より日数三十日之間太宰府御阿弥陀堂に而天満宮吉祥天女並霊宝等御開帳 右同断
八、同年十月朔日より日数二十日之間長崎松森天満宮御社内
天満宮吉祥天女並霊宝等御開帳 右同断
九、天和二壬戌年四月十九日より八月十五日迄御当社
天満宮吉祥天女並霊宝等御開帳義御赦免候 社務石原伊予守定次願
一〇、元禄四辛未年四月十二日より同六月三日迄御当社御開社
天満宮社造営之為供養ニ付天満宮吉祥天女並ニ霊宝等義御赦免候 右同断
一一、同十六壬午[3]年二月十五日より三月十五日迄御当社義御赦免
天満宮八百年御忌に付天満宮吉祥天女並霊宝等御開帳 右同断
一二、享保三戍戌年三月三日より日数五十日之間大阪天満宮御社内
天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免御開帳 社務石原伊予守定冬願
一三、同十二丁未年二月廿五日より日数五十日之間寺町通丸太町下ル下御霊御社内 吉祥天女並霊宝等義御赦免御開帳 右同断
一四、同十七年壬子七月十五日より三十日之間御当社
天満宮吉祥天女並霊宝等御赦免為拝仕候 右同断
一五、享保十八癸丑年六月十六日より七月十七日迄日数三十日之間江州三井寺正法寺[4]奥院ニ而天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免為拝仕候
社務石原伊予守定冬願
一六、同年七月廿三日より日数五十日之間江州蒲生郡友法志塚村御大蓮寺天満宮
吉祥天女並霊宝等義御赦免拝セ仕候 右同断
一七、寛延二己巳年七月九日より日数三十日之間江州御彦根森
天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免拝セ仕候 右同断
一八、同二年三月十六日より日数三十日之間西新屋敷下之町住吉御旅所
天満宮吉祥天女並宝物等義御赦免御開帳 社務石原市正定富願
一九、同三庚午年三月三日より日数三十日之間御当社天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免御開帳 右同断
二〇、明和二乙酉年八月八日より九月十二日迄日数三十日之間日より七日江州蒲生郡当[5]楽寺村佐々木大神神社内天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免為拝仕候
右同断
二一、明和三丙戌年八月十二日より日数三十日之間霊山正法寺御寺内 天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免拝仕候 社務石原市正定富願
二二、天明二年壬寅三月十三日より四月十三日迄日数三十日之間御当社天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免御開帳社務石原市正定富願
二三、文化巳巳[6]年三月十二日より日数十五日之間御当社天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免為拝仕候 社務石原市正定武願
二四、文化十一甲戌年三月三日より四月二日迄日数三十日之間御当社天満宮吉祥天女並霊宝等義御赦免御開帳 社務石原伊予宇[7]定弼願』
○其後の記録 干中
一、文政六未年九月廿九日より同八年に掛けてお江戸各所に於て御開帳
社務正五位下石原幡[8]磨守菅原朝臣願
二、文政十二丑年四月御開帳 吉祥院天満宮神主石原筑前守菅原定恒願
[1] | 「戍」は「戊」の誤記と思われます。また干支に「戊未」は存在せず、「戊午」の誤記と思われます。 |
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[2] | 「己」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[3] | 元禄16年の干支は癸未です。「元祿(禄)十五年」の誤記と思われます。 |
[4] | 西国第12番礼所の岩間山正法寺(岩間寺)のように感じますが、西国第14番礼所の三井寺観音堂がかつて正法寺と呼ばれていたようなので、こちらの可能性が高そうに思います。 |
[5] | 「常」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[6] | 文化6年の干支「己巳」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[7] | 「守」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[8] | 「播」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
更新日:2021/02/12