吉祥院天滿宮詳細錄 第十章 p391 - 395
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(三)一千年祭支出之大略

金四百拾貳圓也 祭典備品費
金四百參拾七圓拾參錢五厘也 兩天末社、燈籠、鳥居、井戶、額、修繕費
金壹千壹百八拾參圓八厘也 石代、石垣、石積、石碑代
金四百八拾八圓拾貳錢五厘也 大工手間
金五百拾壹圓六拾七錢也 境內、園、路の土持、同植木と移植代池、堀、橋、鯉代
金參百四拾參圓七拾九錢八厘也 木、竹、釘、石、藁、こも、瓦、土管等費
金七拾七錢也 左官拂
金參百四拾五圓五拾八錢也 田畑藪地買收開墾費
金五拾四圓七錢五厘也 諸同直し物、同借賃
金七拾圓參拾六錢五厘也 諸帳簿、筆記墨、
金六百六拾五圓四拾四錢四厘也 子、同袋、菓子、ハンカチフ、招待費
金參百六拾五圓貳拾九錢貳厘也 人夫賃
金六拾四圓六拾九錢也 餘興費
金九拾貳圓四拾貳錢也 茶、厚德會修繕改築疊代
金六拾參圓也 三善院觀世音修繕祭具費
金壹百金[1]九圓九拾錢也 是善卿祭典墓地補助金
金參百拾七圓四拾四錢參厘也 諸雜費
金九拾參圓貳拾錢 借金利子拂
金壹千五百五拾圓也 借金濟金
金五圓也 竹田不動院へ寄附金
以上大略

總支出金七千貳百八拾圓貳拾壹錢四厘也
差引殘金壹圓四拾貳錢八厘也

右詳細なることは收支決算臺帳に明記あり。

(四)一千年祭文

○初日十九日の祭文

恭しく惟るに我が大神の神去りましまししより今に至るまで一千載茲に本日より向ふ七日間祭祀の典を擧げ以て大神の威靈を休め奉らんとす。 盖し我が村民の歷世神德を慕ひ奉りて相奉仕し以て神明の擁護を𫎇ること茲に千年神德の高なることに天壤と共に究りなかるべし伏して願くは我等村民今より彌々益々信の念を厚くし奉仕の實を盡くし以て神恩に酬い奉らんことを敢て神威を冒讀し謹みて蕪辭をぶ。
明治三十五年四月十九日
吉祥院天滿宮一千年祭幹事  安田助之亟 敬白

○御中日廿二日の祭文

伏して惟れば我吉祥院村は皇城の西南坤母に位し金甌玉鉉の大器棟梁柱石の偉才を生ぜり。 此地固に吉祥其天女を祭る是れ豈偶然ならんや此地に降誕す誠に以ある也 存し鑑井未だ涸れず嗚呼の朝に存す雞群中に鶴立し皇猷を賛し文武兼全心を盡し力を竭し成り德立ち明と契合し雲龍風海晏河淸の泰和に逢すの盛德は載せて天下の耳目にあり嗟乎悲哉 聚雷をなし鰐浪蜒雨命を邊海の土に終り給ふ天地爲めに震動し人鬼爲めに哽咽す孚感の極日月回照し天下到る處裸將明祀多音をなして徒らにせざる也 今年一千年の祭に當り村民協同一致して東西に奔馳し資を獻し物を供し信者又之れを賛く茲に神苑を恢宏にし祠宇を新修し本日沼毛浻酌の微忱を致し虔して神靈を慰め奉る尙くは饗けよ。
明治三十五年四月二十二日
吉祥院天滿宮一千年祭幹事  石原磯次郞

○同廿五日の祭文

恭しく白す昔者の薨し玉ひてより茲に一千年今月十九より謹て燈を點し樂を奏し淸酌庶羞の奠を以て祭儀を行ふ事一七日固に屑々の行爲にして德澤の偉なるに副ひ在天の靈を奉慰するに足らすと雖も亦吾等村民覆載の神德を光揚し涓埃に報せんとするの微哀[2]にして神髣髴として降り享け玉はん事を尙ふ以なり 今や祭期本日を以て盡き將に典儀撤せんとするに當り時羞をを具へ謹て終吿の詞を奉る。
明治三十五年四月二十五日
吉祥院天滿宮一千年祭幹事  岡崎淸右衛門 謹白

[1]何の誤記か分かりません。
[2]「微衷」の誤記のように思われますが、原文通り表記します。

更新日:2021/02/14