洛陽四十八願地蔵
全国三十三カ所観音霊場
および全国八十八カ所霊場
ご詠歌集 (内容:1982)
(旧版)京のお地蔵さん
(1994)
現在
霊元天皇勅願洛陽四十八願地蔵大菩薩 昭和五十七年壬戌奉納額。 寛文年間(1661-73)、霊元天皇のおぼしめしにより、僧宝山が洛外の六地蔵以外の地蔵尊中、霊験あらたかな市内の四十八カ寺の地蔵尊をえらび、同天皇御製とつたえる御詠歌を添えたもの。 ( )は現在の名称をあらわす。 北区・上京区・中京区・下京区・東山区・左京区
1 縄目地蔵菩薩 壬生寺 縄目地蔵 壬生寺 壬生寺/縄目地蔵[1]
中京区壬生梛ノ宮町 中京区壬生
2 水那上地蔵菩薩 光林寺 みながみ
水那上地蔵
光林寺 光林寺
綾小路大宮西 中京区綾小路大宮西入
3 雀森地蔵 更雀寺 雀森地蔵
(桶取地蔵)
更雀寺 更雀寺[2]/桶取地蔵
左京区静市市原町 左京区静市市原町
4 養老地蔵 悟真寺 養老地蔵 悟真寺 悟真寺[3]
中京区四条大宮西 右京区太秦東蜂岡町
5 萬人講地蔵 休務寺 万人講地蔵 休務寺 休務寺/万人講地蔵
中京区錦小路大宮西 中京区綾小路通[4]大宮西入
6 延命地蔵 成圓寺 延命地蔵 休務寺[5] 成円寺
中京区大宮蛸薬師南入[6] 中京区錦小路通大宮西入
7 幸福地蔵 昌福寺 幸福地蔵 昌福寺 昌福寺
上京区智恵光院下立売上 上京区智恵光院通下立売
8 見返地蔵 勝巌寺 みかえり
見返地蔵
勝巌寺 勝巌院
上京区下立売千本西 上京区下立売通千本西入
9 妻取地蔵 祐正寺 妻取地蔵 祐正寺 祐正寺
上京区下立売千本西 上京区下立売通七本松東入
10 腹帯地蔵 報土寺 腹帯地蔵 報土寺 報土寺
上京区鍋町六軒町西 上京区仁和寺街道六軒町西入
11 跡追地蔵 超円寺 跡追地蔵 超円寺 超円寺
上京区御前一条下 上京区御前通一条下ル
12 昆陽野地蔵 地蔵院 昆陽野地蔵
(鍬形地蔵)
地蔵院 地蔵院/鍬形地蔵(昆陽野地蔵)
北区西大路一条東 上京区[7]一条通西大路東入
13 玉体等身地蔵 清和院 玉体等身地蔵 清和院 清和院
上京区七本松一条上 上京区七本松通一条上ル
14 浄土引接地蔵 浄福寺 浄土引接地蔵 浄福寺 浄福寺
上京区浄福寺一条上 上京区浄福寺通一条上ル
15 六臂地蔵 智恵光院 六臂地蔵 智恵光院 智恵光院
上京区智恵光院一条上 上京区智恵光院通一条上ル
16 釘抜地蔵 石像寺 釘抜地蔵 石像寺 石像寺
上京区千本伍辻上 上京区千本通伍辻上ル
17 天神同体地蔵 蓮台寺 天神同体地蔵 上品蓮台寺 上品蓮台寺
北区千本十二坊 北区千本通鞍馬口上ル
18 逆川地蔵 (地蔵院) 逆川地蔵
(歯痛地蔵)
地蔵院 「上品蓮台寺支院 地蔵院[8]」廃寺 /歯形地蔵
北区千本十二坊 北区千本通鞍馬口上ル
19 木槿地蔵 西林寺 木槿地蔵 西林寺 西林寺
上京区上御霊前室町西 上京区上御霊前通室町西入
20 土止地蔵 西園寺 土止地蔵
(槌留地蔵)
西園寺 西園寺/槌留地蔵
上京区寺町上御霊上 上京区寺町通今出川上ル
21 王城地祭地蔵 仏陀寺 王城地祭地蔵 仏陀寺 仏陀寺
上京区寺町上御霊下 上京区寺町通今出川上ル
22 水落地蔵 了蓮寺 水落地蔵 了蓮寺 了蓮寺/水落地蔵[9]
左京区百万遍山内 左京区百万遍内
23 鎌倉地蔵 地蔵堂 鎌倉地蔵 真如堂南地蔵堂 真如堂[10]/鎌倉地蔵[11]
左京区真如堂本堂南 左京区浄土寺真如町
24 米野地蔵 尊勝院 米野地蔵
(米地蔵)
尊勝院 尊勝院/米(よね)地蔵[12]
東山区粟田口三條坊町 東山区粟田口三条坊町
25 衣通姫地蔵 西方寺 衣通姫地蔵 西方寺 西方寺
左京区東山通二条下 左京区東大路通二条下ル
26 夢見地蔵 三福寺 夢見地蔵 三福寺 三福寺
左京区二条通西寺町 左京区東大路通二条西入下ル
27 袖取地蔵 法林寺 袖取地蔵 檀王法林寺 檀王法林寺
左京区三條大橋東詰 左京区三条大橋東畔
28 那落化現地蔵 矢田寺 那落化現地蔵
(生身地蔵)
矢田寺 矢田寺/代受苦地蔵
中京区寺町三條上 中京区寺町通三条上ル
29 西院川原地蔵 誓願寺[13] 西院川原地蔵 誓願寺[13] 「誓願寺塔頭 江岸院」廃寺
法雲寺/子養育地蔵
中京区新京極六角 中京区新京極六角
30 常盤華地蔵 光明寺 常盤華地蔵 光明寺 光明寺
中京区新京極蛸薬師 中京区新京極裏寺町
31 醒井地蔵 妙心寺 醒井地蔵 妙心寺 妙心寺
中京区新京極蛸薬師 中京区新京極裏寺町
32 弟児地蔵 常楽寺 弟児地蔵 常楽寺 常楽寺
中京区新京極蛸薬師 中京区新京極裏寺町
33 鯉地蔵 蛸薬師寺[14] 鯉地蔵 蛸薬師堂(妙心寺) 永福寺[15]
中京区新京極蛸薬師 中京区新京極蛸薬師上ル
34 腹帯地蔵 西光寺 腹帯地蔵 西光寺 西光寺/腹帯地蔵[16]
中京区新京極蛸薬師上 中京区新京極蛸薬師上ル
35 枕返地蔵 善長寺 枕反地蔵
(立江地蔵)
善長寺 善長寺/立江地蔵
中京区新京極錦上 中京区新京極蛸薬師下ル
36 染殿地蔵 十応心院[17] 染殿地蔵 十住心院 染殿院
中京区四条京極角 中京区新京極四条
37 目疾地蔵 仲源寺 目疾地蔵 仲源寺 仲源寺
東山区四条大和大路東 東山区四条通大和大路東入
38 鬘掛地蔵 六波羅蜜寺 かずら
鬘掛地蔵
六波羅蜜寺 六波羅蜜寺
東山区松原大和大路東 東山区松原通東大路西入
39 夢見地蔵 法観寺 夢見地蔵 法観寺 法観寺
東山区八坂塔ノ内 東山区八坂町
40 身代地蔵 正法寺 身代地蔵 正法寺 正法寺
東山区清閑寺霊山町 東山区清閑寺霊山町
41 勝軍地蔵 清水寺 勝軍地蔵 清水寺 清水寺
東山区清水一丁目 東山区清水一丁目
42 玉章地蔵 退耕庵 玉章地蔵 退耕庵 退耕庵
東山区本町東福寺山内 東山区本町十五丁目
43 獅子地蔵 専定寺 獅子地蔵 専定寺 専定寺
東山区本町四丁目 東山区正面通本町東入
44 乳房地蔵 福田寺 乳房地蔵 福田寺 福田寺
下京区六条河原町西 下京区六条通河原町西入
45 駒止地蔵 蓮光寺 駒止地蔵 蓮光寺 蓮光寺
下京区富小路六条上 下京区富小路通六条上ル
46 手引地蔵 極楽寺 手引地蔵
(安産地蔵)
極楽寺 極楽寺/安産地蔵
下京区富小路五条下 下京区富小路通五条下ル
47 来迎地蔵 新善光寺 来迎地蔵 新善光寺 新善光寺
下京区富小路五条下 下京区富小路五条下ル
48 泥附地蔵 本覚寺 泥付地蔵 本覚寺 本覚寺
下京区富小路五条下 下京区富小路五条下ル
[1]縄目地蔵尊は昭和37年(1962)に焼失しており、現在の本尊延命地蔵菩薩立像は、昭和42年(1967)に唐招提寺から移されたものです。
[2]昭和26年(1951)頃の「京都市明細図」を見ると、四条大宮西入北側の中京区錦大宮町115に「更雀寺」があり、昭和52年(1977)に現在地(左京区静市市原町)へ移転しました。
[3]昭和26年(1951)頃の「京都市明細図」を見ると、「悟真寺」は四条大宮西入北側の中京区錦大宮町116にあり、昭和26年(1951)に現在地(右京区太秦東蜂岡町)へ移転しました。
[4]「錦小路通」の誤植と思われますが、原文のまま「綾小路通」と表記します。
[5]成円寺門前に「洛陽 三番正観音 六番地蔵尊 成圓寺」の石標があることから、「休務寺」は誤植と考えます。
[6]京都では「南入(ル)」と言いませんが、とりあえず原文のまま。
[7]「北区」の誤植ですが、原文のまま「上京区」と表記します。
[8]宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「レンダイジ」の近くに千本通に面して「ジゾウイン」があります。
[9]水落地蔵は上京区上立売通小川西入下ルにあった水落寺の本尊でした。 「京都坊目誌(上京第八學區之部)」P207の水落寺ノ址の項に以下の記述があります。 「水落町西側にあり。西先寺と號す。本尊地藏尊を安置す。享保年中愛宕郡田中村知恩寺の邊に移す。」 (「西先寺」は「西光寺」の誤り)
荒廃していた西光寺が明治32年(1899)に津島市へ移転し再興された際、水落地蔵(立像)も遷されました。
了蓮寺の水落地蔵(座像)は、明治34年(1901)に了蓮寺が現在地(西光寺跡)へ移転した後、22番札所と水落地蔵の名称を継承したもののようです。
[10]天正15年(1587)から元禄6年(1693)の間、真如堂は上京区寺町通今出川下ルにありました。 「京都坊目誌(上京第九學區之部)」P265の真如堂ノ址の項に以下の記述があります。 「天正十五年豊臣氏の命に依り。京極今出川の南に徒りしが。元禄五年十二月朔日。火災に罹り。同六年八月二十二日洛東の舊地に復す。」
[11]「殺生石」と呼ばれる石で造られた鎌倉地蔵は、最初鎌倉に祀られていましたが、信仰の篤かった甲良豊後守宗廣(1574-1646)の夢に現れた地蔵尊のお告げによって、真如堂へ遷されました。
[12]米地蔵は青蓮院内にあった金蔵寺の本尊でしたが、明治4年(1871)に金蔵寺が尊勝院と合併し尊勝院へ遷されました。
[13]西院川原地蔵の場所は誓願寺になっていますが、「利生記」では「江岸院際河原地藏」と記されており、正確には誓願寺塔頭の江岸院のものだったようです。 現在は法雲寺にあって子養育地蔵と呼ばれています。 法雲寺は昭和58年(1983)に四条大宮から現在地へ移転しました。
[14]「蛸薬師堂」の誤植と思われますが、原文のまま「蛸薬師寺」と表記します。
[15]室町通二条下るにあった永福寺が天正19年(1591)頃に妙心寺(旧・円福寺)と合併して蛸薬師堂になりましたが、最近は妙心寺から独立(?)して永福寺に復しています。
[16]腹帯地蔵は中京区東側町にあった清帯寺の本尊でしたが、明治6年(1873)に清帯寺が廃寺となり西光寺へ遷されました。 「都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「清帯寺は西光寺の西向ひなり 本尊腹帯地蔵は土仏にして行基の作なり」
西光寺にある現在の小さな腹帯地蔵は、元の大きな泥塑仏の胎内仏といわれています。
[17]正しくは「十住心院」で、「住」→「往」→「応」の誤読・誤植と考えられますが、原文通り「十応心院」と表記します。 Web上でも「十往心院」の誤記が多くみられます。

更新日:2023/10/21