洛陽四十八願地蔵 全国三十三カ所観音霊場および全国八十八カ所霊場ご詠歌集
平成21年(2009)

御詠歌:

全国三十三カ所観音霊場および全国八十八カ所霊場ご詠歌集 現在
霊元天皇勅願洛陽四十八願地蔵大菩薩 昭和五十七年壬戌奉納額。
第一番 縄目地蔵菩薩 壬生寺 中京区壬生梛ノ宮町 壬生寺/縄目地蔵[1]
かうだいみのりをのべてむつのわは ここの仏の寶なりとぞ
第二番 水那上地蔵菩薩 光林寺 綾小路大宮西 光林寺
水上に浮べるかげのえにしきけば 西のみくにぞいとどなつかし
第三番 雀森地蔵 更雀寺 左京区静市市原町 更雀寺[2]/桶取地蔵
鳥だにもさへずる法の庭なれば えにし結ばぬ人ははかなき
第四番 養老地蔵 悟真寺 中京区四条大宮西 悟真寺[3]
あわれみの深きあまりにのこしおく 老いを養う法の教えを
第五番 萬人講地蔵 休務寺 中京区錦小路大宮西 休務寺/万人講地蔵
万人にかぎりやはするみ仏の 誓いの海にはかりなければ
第六番 延命地蔵 成圓寺 中京区大宮蛸薬師南入[4] 成円寺
法のみのことぶきのぶるそれのみが 露の命もたもつ誓いぞ
第七番 幸福地蔵 昌福寺 上京区智恵光院下立売上 昌福寺
げにやこの仏の恵みうけぬれば 富も栄もながきたまのを
第八番 見返地蔵 勝巌寺 上京区下立売千本西 勝巌院
生ける身のよそおいしめす見返の 仏のみかげたのもしきかな
第九番 妻取地蔵 祐正寺 上京区下立売千本西 祐正寺
かりそめの色のゆかりのちぎりのみ 結ぶばかりと人なおもひそ
第十番 腹帯地蔵 報土寺 上京区鍋町六軒町西 報土寺
わきてよのただならぬ身をあわれみの 深きあまりに結ぶ腹帶
第十一番 跡追地蔵 超円寺 上京区御前一条下 超円寺
ちぎりをば結ぶ堅田の観世音 またたちならぶ跡をひのかげ
第十二番 昆陽野地蔵 地蔵院 北区西大路一条東 地蔵院/鍬形地蔵(昆陽野地蔵)
津の国のこやの古寺ふりすてて 九重てらす法のともしび
第十三番 玉体等身地蔵 清和院 上京区七本松一条上 清和院
すべらきの玉の姿にみ仏の かげひとしきはまたためしなき
第十四番 浄土引接地蔵 浄福寺 上京区浄福寺一条上 浄福寺
あだしよの願を満るそれのみか ついにいざなうみ仏のくに
第十五番 六臂地蔵 智恵光院 上京区智恵光院一条上 智恵光院
身一つをむつの巷にたむけしと よに類なきみ仏のかげ
第十六番 釘抜地蔵 石像寺 上京区千本伍辻上 石像寺
よようともゆるきもやせじ恨み釘 仏のみてにとるぞかしこし
第十七番 天神同体地蔵 蓮台寺 北区千本十二坊 上品蓮台寺
ちはやふる神の社と思いしに またうえなき花の古寺
第十八番 逆川地蔵 (地蔵院) 北区千本十二坊 「上品蓮台寺支院 地蔵院[5]」廃寺 /歯形地蔵
あだとなる人だに救うしるしには さかさま川となのるみ仏
第十九番 木槿地蔵 西林寺 上京区上御霊前室町西 西林寺
いにしえのむくげ[]をとめし法の庭 西の林のなさえたのもし
第二十番 土止地蔵 西園寺 上京区寺町上御霊上 西園寺/槌留地蔵
よかわなる流れをここに土とめて 法のかずかずうちもおさむる
第二十一番 王城地祭地蔵 仏陀寺 上京区寺町上御霊下 仏陀寺
すべらぎの花の都を護らんと たつる誓いのいともたえなる
第二十二番 水落地蔵 了蓮寺 左京区百万遍山内 了蓮寺/水落地蔵[6]
み仏の恵みのはやきなぞらえに たかまの水の落つ姿おる
第二十三番 鎌倉地蔵 地蔵堂 左京区真如堂本堂南 真如堂[7]/鎌倉地蔵[8]
神楽岡鈴の音にそうむつのわや うちふりすます長き眠りを
第二十四番 米野地蔵 尊勝院 東山区粟田口三條坊町 尊勝院よね地蔵[9]
おおうみの一つ雫かよねめぐみ こがねの蔵と寺をいうなり
第二十五番 衣通姫地蔵 西方寺 左京区東山通二条下 西方寺
いにしえのそ通姫のもとのみに かへし光はよよにてりそう
第二十六番 夢見地蔵 三福寺 左京区二条通西寺町 三福寺
雲の上むすびし夢に障りはれ のこるみかげや三のさいわい
第二十七番 袖取地蔵 法林寺 左京区三條大橋東詰 檀王法林寺
袖とりてとめてしもかな迷ひ子の 暗き闇路に迷いいりなば
第二十八番 那落化現地蔵 矢田寺 中京区寺町三條上 矢田寺/代受苦地蔵
いうならく奈落に沈む苦しみを 果てしもしらず変わりうくてふ
第二十九番 西院川原地蔵 誓願寺[10] 中京区新京極六角 「誓願寺塔頭 江岸院」廃寺
法雲寺/子養育地蔵
いとけなきわらべのために父となり 母ともなりて救うみ仏
第三十番 常盤華地蔵 光明寺 中京区新京極蛸薬師 光明寺
枯木だに華さくてふの誓あれば 罪にししきみむべ常盤なり
第三十一番 醒井地蔵 妙心寺 中京区新京極蛸薬師 妙心寺
ながきよの夢さめかひのみずむすび ひとは妙なる心さとらん
第三十二番 弟児地蔵 常楽寺 中京区新京極蛸薬師 常楽寺
さけばちる髪がたなれどなでしこの 華のおとごを護るみ仏
第三十三番 鯉地蔵 蛸薬師寺 中京区新京極蛸薬師 永福寺[11]/鯉地蔵
流れなばついにみ屑となるものを ふくみ与えし鯉はなもたそ
第三十四番 腹帯地蔵 西光寺 中京区新京極蛸薬師上 西光寺/腹帯地蔵[12]
みふたつにわくる誓のきよければ むすびし岩田帯やすくとく
第三十五番 枕反地蔵 善長寺 中京区新京極錦上 善長寺/立江地蔵
むつのわの杖に導くかりのよや かりの枕をかえすにもしれ
第三十六番 染殿地蔵 十応心院[13] 中京区四条京極角 染殿院
いにしへもいまのちのよもかぎりなく すくう心は深き染殿
第三十七番 目疾地蔵 仲源寺 東山区四条大和大路東 仲源寺
みるめなきあまたの人のなげきには かわりわずらう法のまなじり
第三十八番 鬘掛地蔵 六波羅蜜寺 東山区松原大和大路東 六波羅蜜寺
たらちねの親のかばねをかくしつつ 鬘かけしはしずのめのため
第三十九番 夢見地蔵 法観寺 東山区八坂塔ノ内 法観寺
罪なきにしづむひとやのくるしみを 露にさとして人をたすけし[14]
第四十番 身代地蔵 正法寺 東山区清閑寺霊山町 正法寺
かけまくも代るみかげやこしかたの 罪の報いの逃れなければ
第四十一番 勝軍地蔵 清水寺 東山区清水一丁目 清水寺
なもたかき音羽の山のいくさ神 そのいさをしにみよぞおさまる
第四十二番 玉章地蔵 退耕庵 東山区本町東福寺山内 退耕庵
花の色さもあらばあれたまずさの 絶えぬ光や五菩薩のかげ
第四十三番 獅子地蔵 専定寺 東山区本町四丁目 専定寺
東路を大井の川のみなぎりに ししとなりてぞ人渡すなり
第四十四番 乳房地蔵 福田寺 下京区六条河原町西 福田寺
嬰児みどりごをわきて恵みのいちしるき 乳房の求めかなわぬはなし
第四十五番 駒止地蔵 蓮光寺 下京区富小路六条上 蓮光寺
駒とめし仏はいつかこまのみと けしても救う誓いありとぞ
第四十六番 手引地蔵 極楽寺 下京区富小路五条下 極楽寺/安産地蔵
よをのするつちのすがたを現して 菩薩の恵限りしられず
第四十七番 来迎地蔵 新善光寺 下京区富小路五条下 新善光寺
いとどなを仰げば高しそめいろの 山の姿ととうとまれぬる
第四十八番 泥附地蔵 本覚寺 下京区富小路五条下 本覚寺
四十余りやつの姿にめぐりあいて みのりの海の深きをぞしる
[1]旧本尊の縄目地蔵は昭和37年(1962)に焼失しましたが、令和2年(2020)に復元されました。 現在の本尊は昭和42年(1967)に唐招提寺から移された延命地蔵菩薩立像です。
[2]昭和26年(1951)頃の「京都市明細図」を見ると、四条大宮西入北側の中京区錦大宮町115に「更雀寺」があり、昭和52年(1977)に現在地(左京区静市市原町)へ移転しました。
[3]昭和26年(1951)頃の「京都市明細図」を見ると、「悟真寺」は四条大宮西入北側の中京区錦大宮町116にあり、昭和26年(1951)に現在地(右京区太秦東蜂岡町)へ移転しました。
[4]京都では「南入(ル)」と言いませんが、とりあえず原文のまま。
[5]宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「レンダイジ」の近くに千本通に面して「ジゾウイン」があります。
[6]水落地蔵は上京区上立売通小川西入下ルにあった水落寺の本尊でした。 「京都坊目誌(上京第八學區之部)」P207の水落寺ノ址の項に以下の記述があります。 「水落町西側にあり。西先寺と號す。本尊地藏尊を安置す。享保年中愛宕郡田中村知恩寺の邊に移す。」 (「西先寺」は「西光寺」の誤り)
荒廃していた西光寺が明治32年(1899)に津島市へ移転し再興された際、水落地蔵(立像)も遷されました。
了蓮寺の水落地蔵(座像)は、明治34年(1901)に了蓮寺が現在地(西光寺跡)へ移転した後、22番札所と水落地蔵の名称を継承したもののようです。
[7]天正15年(1587)から元禄6年(1693)の間、真如堂は上京区寺町通今出川下ルにありました。 「京都坊目誌(上京第九學區之部)」P265の真如堂ノ址の項に以下の記述があります。 「天正十五年豊臣氏の命に依り。京極今出川の南に徒りしが。元禄五年十二月朔日。火災に罹り。同六年八月二十二日洛東の舊地に復す。」
[8]「殺生石」と呼ばれる石で造られた鎌倉地蔵は、最初鎌倉に祀られていましたが、信仰の篤かった甲良豊後守宗廣(1574-1646)の夢に現れた地蔵尊のお告げによって、真如堂へ遷されました。
[9]米地蔵は青蓮院内にあった金蔵寺の本尊でしたが、明治4年(1871)に金蔵寺が尊勝院と合併し尊勝院へ遷されました。
[10]西院川原地蔵の場所は誓願寺になっていますが、「利生記」では「江岸院際河原地藏」と記されており、正確には誓願寺塔頭の江岸院のものだったようです。 現在は法雲寺にあって子養育地蔵と呼ばれています。 法雲寺は昭和58年(1983)に四条大宮から現在地へ移転しました。
[11]室町通二条下るにあった永福寺が天正19年(1591)頃に妙心寺(旧・円福寺)と合併して蛸薬師堂になりましたが、最近は妙心寺から独立(?)して永福寺に復しています。
[12]腹帯地蔵は中京区東側町にあった清帯寺の本尊でしたが、明治6年(1873)に清帯寺が廃寺となり西光寺へ遷されました。 「都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「清帯寺は西光寺の西向ひなり 本尊腹帯地蔵は土仏にして行基の作なり」
西光寺にある現在の小さな腹帯地蔵は、元の大きな泥塑仏の胎内仏といわれています。
[13]正しくは「十住心院」で、「住」→「往」→「応」の誤読・誤植と考えられますが、原文通り「十応心院」と表記します。 Web上でも「十往心院」の誤記が多くみられます。
[14]法観寺の夢見地蔵の額を見ると、明らかにご詠歌が異なります。 理由は不明ですが、「罪なきに・・・」のご詠歌が好まれず変更されたのかもしれません。 また、現在六波羅蜜寺にある元39番の夢見地蔵尊のご詠歌が「罪なきに・・・」だった可能性も考えられます。

更新日:2024/05/31