山城西国三十三所 | 加茂町史 第二巻 内容:明治初年頃 |
【別称】城南西国三十三所、南山城西国三十三所
天保12年(1841)、1番西教寺の良海が発起。
明治初年(1868)頃、西国三十三所の各札所の本尊の写しを分配し開創されました。
加茂町史 | 現在 | |||
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寺院名 | 所在地 | 本尊 | ||
1 | 西教寺 | 木津町木津 | 如意輪観音 | 西教寺 |
2 | 大智寺 | 〃 〃 | 十一面観音 | 大智寺 |
3 | 安福寺 | 〃 〃 | 千手千眼観音 | 安福寺 |
4 | 西念寺 | 〃 鹿背山 | 千手観音 | 西念寺 |
5 | 西念寺 | 加茂町河原 | 千手千眼観音 | 廃寺[1] ※ 明治初期、本山の海住山寺に合併 |
6 | 国分寺 | 〃 例幣 | 千手千眼観音 | 国分寺 |
7 | 海住山寺 | 〃 〃 | 二臂如意輪観音 | 海住山寺 |
8 | 心楽寺 | 木津町梅谷 | 十一面観音 | 心楽寺 |
9 | 正覚寺 | 〃 木津 | 不空羂索観音 | 正覺寺 |
10 | 大竜寺 | 〃 〃 | 千手観音 | 大龍寺 |
11 | 法泉寺 | 〃 相楽 | 准胝観音 | 法泉寺 |
12 | 光明寺 | 精華町乾谷 | 千手観音 | 光明寺 |
13 | 西福寺 | 〃 山田 | 如意輪観音 | 廃寺 /普賢院が継承 |
14 | 長福寺 | 〃 山田(菱田カ) | 如意輪観音 | 廃寺[2]
※ 明治16年(1883)、普賢院に合併 |
15 | 西念寺 | 〃 〃 | 十一面観音 | 西念寺 |
16 | 医王寺 | 〃 〃 | 千手千眼観音 | 廃寺[3]
※ 新殿神社の薬師堂として存続 |
17 | 大念寺 | 加茂町大野 | 十一面観音 | 大念寺 |
18 | 来迎寺 | 精華町植田 | 如意輪観音 | 来迎寺 |
19 | 岡本寺 | 〃 北稲八間 | 千手観音 | 廃寺 ※ 明治初年、跡地に観音寺 |
20 | 安楽寺 | 〃 谷 | 千手観音 | 安楽寺 |
21 | 常念寺 | 〃 祝園 | 聖観音 | 常念寺 |
22 | 宝心寺[4] | 田辺町興戸 | 千手観音 | 廃寺? /寿命寺が継承? |
23 | 西念寺 | 〃 天神森[5] | 十一面千手観音 | 西念寺 |
24 | 大念寺 | 〃 大住 | 十一面観音 | 光念寺[6] |
25 | 法泉寺 | 〃 草内 | 十一面観音 | 法泉寺 |
26 | 阿弥陀寺 | 井手町上井手 | 聖観音 | 阿弥陀寺 |
27 | 地蔵院 | 〃 〃 | 如意輪観音 | 地蔵院 |
28 | 西福寺 | 〃 玉水 | 聖観音 | 西福寺 |
29 | 蟹満寺 | 山城町綺田 | 馬頭観音 | 蟹満寺 |
30 | 十輪寺 | 〃 平尾 | 千手観音 | 十輪寺 |
31 | 西恩寺[7] | 〃 北河原 | 十一面観音 | 西音寺 |
32 | 法連寺[8] | 〃 上狛 | 千手観音 | 法蓮寺 |
33 | 神童寺 | 〃 神童寺 | 十一面観音 | 神童寺 |
[1] | 明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、隨心院の末寺として川原村の「西念寺(無住)」が記されています。 現在、西念寺跡には石仏の地蔵尊を祀る地蔵堂が残されています。 |
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[2] | 精華町HPの情報❐によると、精華町山田樋ノ口にある山田不動明王普賢院が、明治16年(1883)に近くの長福寺を合併しました。 |
[3] | 精華町HPの情報❐によると、医王寺は精華町山田医王寺の新殿神社の西隣にあった寺院で、現在は薬師堂として残り、堂内に元本尊の薬師如来坐像や厨子入り観音像が安置されています。 また、同じく精華町HPの情報❐によると、柘榴の極楽寺に応長2年(1312)の刻銘をもつ医王寺の梵鐘があります。 |
[4] | 「山城郷土資料館企画展資料」では22番が元観音寺(寿命寺に合併された)になっており、宝心寺と観音寺との関係は不明です。 |
[5] | 近くの京田辺市田辺棚倉にある棚倉孫(たなくらひこ)神社が江戸時代は天神社と呼ばれていたことから、天神の森の地名で呼ばれていました。 |
[6] | 「田辺町近代誌(1987)」P782に以下の記述があります。 「光念寺 昭和四十八年二月七日に設立登記された浄土宗光念寺(代表・林清塚)は、大字大住小字東村一六番地にあった「西光寺」と大字大住小字八王子八三番地にあった「大念寺」が合併して設立されたものである。」 |
[7] | [恩]と[音]で漢字が異なりますが、原文通り表記します。 |
[8] | [連]と[蓮]で漢字が異なりますが、原文通り表記します。 |
更新日:2022/02/07