第二十一番
だい ひ ざん いっ とん いん ほっ しょう じ
大悲山 一音院 法性寺
浄土宗西山禅林寺派
本尊 二十七面千手観音菩薩
札所本尊二十七面千手観音菩薩 (厄除観世音菩薩)
御詠歌かれきしに みのりのふねの ほうせいぢ
 しょうぢのうみを やすくわたせる
住 所
電 話
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備 考


 浄土宗西山禅林寺派、山号は大悲山、本尊は二十七面千手観音。

 延長2年(924)に藤原貞信公忠平が創建した藤原家の氏寺である。 以後、平安時代を通じて戦火で焼失するも、藤原家一門の加護を受けて発展し、忠平八代の末孫藤原忠通のころには、金堂、五大堂、灌頂堂、三昧堂等、百棟を数える堂塔伽藍が建てられ、京洛二十一ヶ寺の一つに数えあげられるほどの寺観と荘厳を具備した名刹であった。

 以来、公卿の政権は衰えて武士が政権を行うようになり、平安の都も戦乱の火中となって、応仁の乱には、本邦無隻の壮観であった法性寺の諸伽藍も、兵火に焼け、著名の仏像も灰燼となった。 其の後、再建の機運に会えず、僅かに災いを免れた仏像は、小堂に収容し、久しく安置されておりました。

 今の法性寺の御本尊観世音菩薩は、忠通公が42才の時、難病にかかり、この観音様に、ご祈祷さないますと、数日にして回復されましたので、其の後、厄除観世音菩薩と称され、永く洛陽三十三所観音霊場の第二十一番の札所として世人をお導きくださいまして現在、国宝に指定されています。

出所:『洛陽三十三所観音巡礼』



更新日:2015/11/29