丹波七福神 第七番 |
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臨済宗興聖寺派 本尊 釈迦如来 |
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円珍智証大師が草創して以来転宗転派を続け現在は、臨済宗興聖寺派の末寺と成っている。
境内のお堂には智証大師の作と伝えられる薬師如来を祀る。
東光寺には幸福、封禄、長寿を招来して人生円満を授けてくださる福禄寿を祀っている。 その短身、長髪の穏やかな風貌はユニークなお姿で、私たちに心のゆとりを教えて下さいます。
出所:丹波七福神スタンプ用台紙
東光寺は、その昔、平安時代の仁和年間(885〜889)に滋賀県大津三井寺(園城寺)の開基、比叡山延暦寺第五世天台座主智証大師圓珍が、千年山の麓に金仙寺というお寺を創建し、大師自らの一刀三礼の薬師如来像をお祀りされたのが始まりです。 しかし、その後度重なる騒乱等の火災により伽藍は荒廃し、観応の擾乱以後再建されませんでした。 室町時代の明徳年間(1390〜1394)に恵門和尚が、金仙寺の旧跡に禅寺として岩鍋山岩平寺を建て、七堂伽藍を整備しました。 ところが永正年中(1504〜1521)に再び戦国時代の騒乱の中で灰燼に帰しました。 そこで伏見宮第7代邦輔親王の子で臣籍降下されてこの地にあった邦茂王の次子、僧祖渓(浄泉和尚・大中和尚)が智証大師作の金仙寺薬師如来を自坊である浄泉庵にお祀りされました。 これが東光寺の始まりです。
江戸時代中期の寛延年間(1748〜1751)には、京都洛北興聖寺の第13世月中和尚により、現在地へ移され、その後も特潭祖達、一源宗和尚が布教に努め、東光寺を中興しました。 その後明和・天明年代を境にして少しづつ寺運も衰微してきましたが、文化・文政の頃に復興され、■■39年に飛騨国の名刹本覚寺から智瑛道和尚を迎え、中興されました
出所:「東光寺(千歳町)」説明板
極楽寺から約10分で第七番札所東光寺に到着。 |
≪福禄寿石像≫
山門を入ってすぐ右手にいらっしゃいました。 |
≪身代り福禄寿≫
『良くなりたい箇所・事柄を願かけ お賽銭を入れその箇所をなでて下さい』とのこと。お賽銭は必須ですよ! なお、こちらは七福神めぐりの福禄寿ではありません。念のため。 |
≪薬師堂≫
薬師如来立像、地藏菩薩像、観音菩薩像に加えて、札所本尊の福禄寿像が祀られています。 |
更新日:2024/03/23