青もみじと
あじさい
やまざきじょうあと
山崎城跡
住 所
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備 考御城印は、宝積寺(宝寺)、離宮八幡宮、大山崎町商工会、長岡京@navi.で販売

羽柴(豊臣)秀吉が山崎の合戦の後、天王山の山頂に築城。 天守台や井戸、土塁の跡などが残る。 途中、天王山のハイキングコースにある展望台からは、山崎の合戦の古戦場や淀川の流れを一望できる。

■JR山崎駅から徒歩55分

出所:『青もみじとあじさいの御朱印めぐり』パンフレット

≪陶板絵図「秀吉の道」≫
 天王山の登り口から山頂まで、天王山の戦いを説明する6枚の陶板絵図「秀吉の道」が設置されています。 この陶板絵図は堺屋太一氏の監修・解説と岩井弘氏の屏風画で制作されました。
≪旗立松(6代目)≫
 山崎の合戦の時、羽柴(豊臣)秀吉は千成瓢箪の大旗を松の樹上に高く掲げて羽柴軍の士気を高め、羽柴軍を勝利に導いたといわれています。 天王山中腹の見晴らしの良い場所にあり、近くに展望台も作られています。
≪天王山山頂≫
 天正10年(1582)6月の山崎の合戦に勝利した秀吉は、天王山山頂一帯に山崎城を築城しました。 この山頂付近に天守台があったようです。
≪石垣跡≫
 城跡には野面積み(のづらづみ)の石垣も一部良好な状態で残されています。
≪井戸跡≫
 山頂に掘られた井戸で水が出るのか疑問でしたが、「雨水を溜めて利用したのではないかと思われます。」という駒札の説明で納得。

更新日:2022/09/04