京都三庚申
そん しょう いん
青蓮院院家 尊勝院
天台宗
本尊 元三大師良源
庚 申粟田口庚申
住 所
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備 考

 尊勝院は天台宗に属する寺院で、保延年間(一一三五〜四一)に陽範阿闍梨が比叡山横川に尊勝坊を開創したことに始まり、その後青蓮院三条白川坊の裏に移されたと伝える。 また応仁の乱により荒廃したが、文禄年間(一五九二〜一五九六)に豊臣秀吉によって本堂が再建されたという。 江戸時代には、本堂は元三大師を本尊として南面して建っていたことから、南面大師堂あるいは元三大師堂とも呼ばれていた。 大正四年には寺地が現在地へ移転されたが、その際に建物は本堂のみが移された。

 現在の本堂は桁行三間、梁行四間の規模で正面一間通りを外陣、奥寄りの方三間を内陣とし、内陣には中央に四天柱を立てて、背面に仏壇を間口いっぱいに設けて本尊元三大師像を祀る厨子を安置する。 史料を欠くために造営年代を明らかにすることはできないが、内陣の四天柱内の細部様式は桃山時代まで遡るものと判断される。

 この本堂は、桃山時代まで遡るものと考えられ、その後、幾度かの修理によって大きく改造されているところがみられるものの、内陣は常行三昧堂の形式である一間四面堂の攻勢で建てられ、また極彩色が施されて桃山時代の趣がよく残されている小規模ながら、古式で上質の建物である。

出所:『尊勝院本堂』京都市駒札

≪本堂≫
 元金蔵寺の本尊で洛陽四十八願地蔵第二十四番の米(よね)地蔵も本堂内に祀られています。

 金蔵寺廃寺の際、三猿堂(庚申堂、御猿堂)は尊勝院へ移されましたが、大正4年(1915)に尊勝院が二条白河の旧地から現在地へ移転した際は、残念ながら三猿堂は移されませんでした。
 現在、本堂内の本尊左の厨子内に庚申像(大青面金剛尊)が祀られ、その前に「不見、不聞、不言(みざる、きかざる、いわざる)」の三猿像等が並んでいます。

更新日:2015/05/16