京都十六社 |
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祭神 |
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当社は永暦元年(一一六〇)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請せられ祈願所とされた正東山若王子の鎮守であったが、明治初年の神仏分離によって当社のみが今日の残ったのである。
夷川通りに鎮座せられていた室町時代作の恵比須を祀っている足利尊氏・義政が、この地に花を愛で宴を開いたと伝えるが、今日でも東方山中に瀑布が有り奇岩老樹も多く、夏は納涼地、秋は紅葉の名所として聞こえている。
社殿は度々荒廃し、明治の修築の際本宮・新宮・那智・若宮などがあったが、現在は一社相殿になっている。
出所:『熊野若王子神社』パンフレット
哲学の道の南端に位置し、隣に有名な和菓子屋さんもあるのですが、ここを訪れる人は意外と少なく落ち着いた雰囲気の場所です。 北側山中の見晴らしの良い場所に桜花苑があり、春には桜も楽しめます。 神社前のこの道を進むと、若王子山頂に同志社英学校(同志社大学の前身)の創立者である新島襄の墓があります。 |
≪拝殿≫
若王子神社は洛中熊野三山の那智大社を表し、祭神の天照大神の別号「若一王子」が名前の由来です。 |
≪三解社と滝≫
神社背後にこのような末社と滝があるとは知りませんでした。 この滝は那智の滝を表し(本物とは比べ物にならない規模ですが)、熊野御幸の際、後白河法皇をはじめ修験者がこの滝で身を浄めて熊野へ参られたそうです。 |
更新日:2017/02/19