京都十六社
あわ た じん じゃ
粟田 神社
祭神 
ご利益旅立ち守護・厄除
住 所
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備 考

 平安時代、清和天皇貞観十八(876年)年春に神祇官並びに陰陽寮より、「この年隣境に兵災有りて秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上された。 天皇ただちに勅を下され、五畿七道の諸神に国家と民の安全を祈願された。 その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(八坂神社)に七日間祈願された。 その満願の夜、夢枕に老翁が立ち「帝都の東祇園の東北に牛頭天王(素盞嗚尊)に縁の地在り。 その地に我を祭れば必ず国家と民は安全なり。 我は大己貴神なり。」と告げて消えられた。 興世は夢とは思わず神意なりと奏上し、勅命により奉行としてこの地に社を建ててご神霊をお祭りした。

 また一説には上古、粟田氏の氏神として創建されたとも伝えられる。

出所:『粟田神社由緒』ちらし

更新日:2017/02/19