社格等 | 旧府社、式内小社「向(むかへの/むかふの)神社」 |
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当社は延喜式神名帳の記載されたいわゆる式内社であり、神名式においては山城国乙訓郡向神社と称され、後に同式の乙訓坐火雷神社を併祭して[1]今日に至っている。
この両社は、同じ向日山に鎮座されたので、向日神社は上の社、乙訓坐火雷神社は下ノ社と呼ばれていた。
当社の創立は、大歳神の御子、御祭神[2]がこの峰に来られ向日山と称され、この地に永く鎮座されて御田作りを奨励されたのに始まる。
向日山に鎮座されたことにより、御祭神を向日神と申し上げることとなったのである。
社伝によると養老二年(七一八年)である。
上ノ社は五穀豊穣の神として、下の社は祈雨、鎮火の神として朝廷の崇敬の特に篤い神社であったことは、古書に数多く見られるところである。
出所:『向日神社』駒札
[1] | 古くから向日神社下社と角宮神社の間で「乙訓坐大雷神社」の比定をめぐる論争があり、未だ決着はついていませんが、角宮神社の方がやや有力なようです。 |
[2] | 「御歳神」の誤記のように思われますが、駒札の通り「御祭神」と表記します。 |
更新日:2022/01/18