京都八本山
第八番
ほう きょう ざん みょう でん じ
法鏡山 妙傳寺
日蓮宗 由緒寺院・本山
本尊 三宝尊
関西身延・錐揉(きりもみ)祖師の寺
住 所
電 話
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備 考

 山門をくぐると境内けいだい中央に壮大な本堂が建つ。 当寺は往古、甲州の身延みのぶ七面山しちめんざんへ参詣できない関西近在の信徒のために、身延山を中興ちゅうこうした日朝上人にっちょうしょうにんの弟子日意にちい上人が関西の身延山として開いた寺で、西身延または関西身延と呼ばれ信仰を集めている。

 境内には本堂のほかに、七面大明神だいみょうじんまつる七面堂や宗祖ご真骨を奉安する廟堂などが並んでいる。 また当山には、歌舞伎の初代片岡仁左衛門の墓所などもある。 岡崎公園・平安神宮・南禅寺に近い。

 縁起  当寺は法鏡山と号し、文明九年(一四七七)に円教院日意上人によって開創された。 上人は初め天台宗に属し、比叡山の学頭であったが、身延山十一世行学院日朝上人にまみえ、法義を談ずること三昼夜、遂に帰依し弟子となった。 そこで京都一条尻切屋町に当寺を建立し、師と図って宗祖日蓮聖人のご真骨を奉安。 また身延七面山の尊体と同木の霊仏を勧請かんじょうし、遠隔の信徒に参詣の便を開いたので、当山を関西身延と称するようになった。 上人は当山に二十三年間住持した後、明応八年(一四九九)に身延山十二世に迎えられ、在職二十年、猊座げいざ日伝にちでん上人に譲り、永正十六年(一五一九)に遷化せんげするまでその重責を果たした。 ちょうでんの三師で宗門中興の三師と称する。

 天文五年(一五三六)、世にいう天文てんもんの法乱が起こり諸堂が灰燼かいじんに帰したため、大阪の堺に難を避けた。 五年後帰洛、西洞院四条下ル町に移転した。 また当山中興の祖と仰がれる六世日恵上人は、秀吉の命によって再び京極二条上ル町に転地し、一条及び四条両家の菩提寺ぼだいじとなった。 当山に霊宝として安置される「錐揉祖師きりもみそしの霊像」も日恵上人が霊夢によって感得したものである。 さらに宝永五年(一七〇八)洛中の大火で罹災し、再度現在地の二条川東に移った。

 現況  宝暦十四年(一七六四)に現在の本堂を再築。 霊宝には「錐揉祖師像」(日法にっぽう上人作)、七面大明神像(身延七面山尊像と同木)などがある。 なお、当山の歴代から心性遠師しんしょうおんし法性勇師ほっしょうゆうし寂遠通師じゃくおんつうしなど数多くの名僧を輩出した。

出所:『日蓮聖人とお弟子たちの歴史を訪ねて 日蓮宗本山めぐり(2003)』

≪正門≫
 東山二条の南東角にあります。 それほど広い敷地ではなく、正直なところ八本山のひとつとは長らく知りませんでした。
≪本堂≫
 身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置したことから、「西身延」と称されるようになったそうです。 本堂には「関西身延」と書かれた扁額が掲げられています。
≪御真骨堂と鐘楼堂≫
 御真骨堂に宗祖日蓮聖人のご真骨が奉安されています。
≪片岡仁左衛門碑≫
 本寺は松嶋屋・片岡仁左衛門家の菩提寺で、11世片岡仁左衛門を記念してのこの碑が建てられました。
 松嶋屋の定紋である七つ割丸に二引(ななつわりまるにふたつひき)紋の形をした碑は東山通りから良く見え、このことから妙傳寺のことを二引寺と呼ぶこともあるそうです。

更新日:2023/10/17