京都文殊 第一番 |
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浄土宗 大本山 本尊 阿弥陀如来 |
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黒谷さんとよばれるこの寺は浄土宗鎮西派の本山です。 三門の額は後小松天皇の宸筆で「浄土宗最初門」と書かれています。 ここは法然上人が比叡山黒谷を下って最初に草庵を結んだ地のためで、はじめ新黒谷とよばれていました。 それがいつの頃か黒谷さんとよばれるようになったものです。
境内の東側にそびえる文殊塔(江戸・重文)は高さ約16メートル、京都にシンボルの一つです。 ことに蹴上からの眺めはよく、都ホテルに泊った国賓からは「オー・ワンダフル」と絶賛されてきました。
塔内に安置されている文殊菩薩は日本三文殊(宮津市知恩寺[1]の切戸文殊・桜井市知足院[2]の安部文殊[3])の一つで最高傑作といわれます。 お姿は、頭に五馨(さつ)[4](5つのもとどり)、右手に宝剣、左手に蓮華をもつ丈六の像で、獅子の上に坐り、今にも白雲に乗って旅立ちしようというポーズです。
出所:『京の福神めぐり』
![]() 法然上人が比叡山の黒谷を下ってここに草庵を結んだのが寺の始まりとされ、そこからこの付近一帯が黒谷と呼ばれるようになりました。 |
![]() 紅葉の季節には多くの観光客で賑わう金戒光明寺ですが、それ以外の季節は訪れる人も少なく落ち着いた雰囲気が味わえます。 |
![]() ここには京都の代表的なお菓子「八ツ橋」の語源とされる八橋検校や、江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母の春日局など、多くの著名人のお墓があります。 京都の市街地を見下ろすこの風景を見ていると、多くの人がここに墓所を求めたのも理解できる気がします。 |
![]() アフロ石仏の俗称で有名なこの石仏は、阿弥陀仏がとてつもなく長い時間、思惟(しゆい)をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びた様子を表しています。 一劫(いちこう)とは「四十里(約160km)立方の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。 「どんだけぇ~!」 by IKKO |
![]() 墓地の間の石段を上り切った丘の上に三重塔が建っています。 江戸時代初期建立のこの塔に安置されていた中山文殊は、平成20年に御影堂へ遷座されました。 |
![]() 三重塔の前で左へ曲がり、北へ進むと會津藩殉難者墓地です。 ここには、文久2年~慶応3年の5年間に亡くなられた237霊と鳥羽伏見の戦いの戦死者115霊を祀る慰霊碑が建てられています。 |
[1] | 「智恩寺」の誤記だと思いますが、原文通り表記します。 |
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[2] | 「知足院」ではなく「安倍文殊院」だと思いますが、原文通り表記します。 |
[3] | 地名は「安部」と書きますが、文殊の名前は「安倍」と書きます。 |
[4] | 「髻」の誤記だと思いますが、原文通り表記します。 |
更新日:2021/12/16