地藏大菩薩四十八體御詠歌 | 日本歌謠集成 巻四 昭和3年(1928) |
御詠歌:
日本歌謡集成 | 現在 | ||
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第一番 | 佛身繩目地藏 | 壬生 壬生寺 |
壬生寺/縄目地蔵[1] |
高大の。御法をのべて。六つの輪は こゝの佛の。寶なりとぞ。 |
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第二番 | 菩薩身水上地藏 | 綾小路大宮 光林寺 |
光林寺 |
水上に。浮べる影の。緣きけば 西の御國ぞ。いとゞなつかし。 |
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第三番 | 辟支佛身雀森地藏 | 四條大宮西 更雀寺 |
更雀寺[2]/桶取地蔵 |
鳥だにも。囀る法の。場なれば 緣結ばぬ。人ははかなき。 |
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第四番 | 聲聞身養老地藏 | 同 上東隣 語眞寺[3] |
悟真寺[4] |
憐みの。深きあまりに。のこしおく 老を養ふ。法の教へを。 |
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第五番 | 梵王身萬人講地藏 | 錦小路大宮 休務寺 |
休務寺/万人講地蔵 |
萬人に。限りやはする。御佛の 誓の海に。はかりなければ。 |
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第六番 | 帝釋身延命地藏 | 大宮蛸藥師 成圓寺 |
成円寺 |
法の身の。壽延ぶる。それのみが 露の命も。保つ誓ぞ。 |
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第七番 | 閻魔王身幸福地藏 | 智惠光院下立賣 昌福寺 |
昌福寺 |
げにやこの。佛の惠み。うけぬれば 富も榮も。長き玉の緒。 |
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第八番 | 毘沙門身見返地藏 | 下立賣千本 勝巌院 |
勝巌院 |
生ける身の。よそほひしめす。見返りの 佛の御影。たのもしきかな。 |
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第九番 | 日天身妻取地藏 | 下立賣千本 祐正寺 |
祐正寺 |
假初の。色のゆかりの。契のみ 結ぶばかりと。人なおもひそ。 |
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第十番 | 月天身腹帶地藏 | 鍋町六軒町 報土寺 |
報土寺 |
わきて世の。たゞならぬ身を。憐みの 深きあまりに。結ぶ腹帶。 |
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第十一番 | 火曜星身跡追地藏 | 御前通一條 超圓寺 |
超円寺 |
契をば。結ぶ堅田の。觀世音 また立ちならぶ。跡追のかげ。 |
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第十二番 | 土曜星身昆陽野地藏 | 一條通紙屋川 地藏院 |
地蔵院/鍬形地蔵(昆陽野地蔵) |
津の國の。昆野の古寺。ふりすてゝ 九重てらす。法の燈。 |
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第十三番 | 木曜星身玉體等身川崎地藏 | 七本松一條 清和院 |
清和院 |
すべらきの。玉の姿に。御佛の 影等しきは。またためしなき。 |
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第十四番 | 金曜星身淨土引接地藏 | 淨福寺一條 淨福寺 |
浄福寺 |
徒し世の。願を滿つる。それのみか つひに誘ふ。御佛の國に。 |
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第十五番 | 水曜星身六臂地藏 | 智惠光院一 條智惠光院 |
智恵光院 |
身ひとつを。六つの衢に。たむけしと 世に類なき。御佛のかげ。 |
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第十六番 | 日曜星身釘拔地藏 | 千本上立賣 石像寺 |
石像寺 |
世々ふとも。ゆるぎもやせじ。うらみ釘 佛の御手に。取るぞかしこし。 |
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第十七番 | 月曜星身天神同體地藏 | 千本頭 蓮臺寺 |
上品蓮台寺 |
ちはやふる。神の社と。思ひしに またうへもなき。花の古寺。 |
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第十八番 | 羅睺星身逆川地藏 | 同蓮臺寺内 地藏院 |
「上品蓮台寺支院 地蔵院[5]」廃寺 /歯形地蔵 |
仇となる。人だに救ふ。しるしには さかさま川と。名乘る御佛。 |
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第十九番 | 計都星身木槿地藏 | 上御靈室町 西林寺 |
西林寺 |
いにしへの。木槿をとめし。法の場 西の林の。名さへたのもし。 |
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第十二番[6] | 天輪聖王身土止地藏 | 寺町上御靈 西園寺 |
西園寺/槌留地蔵 |
横河なる。流れをこゝに。土止めて 法の數々。うちもおさむる。 |
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第二十一番 | 小王身王城地祭地藏 | 同上三丁 佛陀寺 |
仏陀寺 |
すべらぎの。花の都を。護らんと たつる誓の。いとも妙なる。 |
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第二十二番 | 長者身水落地藏 | 百萬遍山内 了蓮寺 |
了蓮寺/水落地蔵 |
御佛の。惠みのはやき。なぞらへに たかまの水の。落つる姿を。 |
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第二十三番 | 居士身鎌倉地藏 | 眞如堂 南地蔵堂 |
真如堂/鎌倉地蔵[7] |
神樂岡。鈴の音に添ふ。六つの輪や うち振りすます。長き眠を。 |
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第二十四番 | 宰官身米野地藏 | 三條白川橋 尊勝院 |
尊勝院/米地蔵 |
大海の。一つ雫か。米めぐみ 黄金の倉と。寺をいふなり。 |
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第二十五番 | 婦女身衣通姫地藏 | 東山通二條 西方寺 |
西方寺 |
いにしへの。衣通姫の。本の身に かへし光は。世々に照りそふ。 |
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第二十六番 | 比丘身夢見地藏 | 二條西寺町 三福寺 |
三福寺 |
雲のうへ。結びし夢に。障晴れ のこる御影や。三つの幸ひ。 |
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第二十七番 | 比丘尼身袖取地藏 | 三條大橋東 法林寺 |
檀王法林寺 |
袖取りて。とめてしもがな。迷ひ子の 暗き闇に。迷ひ入りなば。 |
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第二十八番 | 優婆塞身那落化現地藏 | 寺町三條上 矢田寺 |
矢田寺/代受苦地蔵 |
いふならく。奈落に沈む。苦しみを はてしも知らず。代り浮くてふ。 |
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第二十九番 | 優婆夷身西院川原地藏 | 新京極 誓願寺[8] |
「誓願寺塔頭 江岸院」廃寺
→法雲寺/子養育地蔵 |
いとけなき。童べの爲に。父となり 母ともなりて。救ふ御佛。 |
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第三十番 | 天身常盤華地藏 | 新京極裏寺町 光明寺 |
光明寺 |
枯木だに。花咲くてふの。誓あれば 摘みにし樒。むべ常盤なり。 |
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第三十一番 | 龍王身醒井地藏 | 同町東側 妙心寺 |
妙心寺 |
長き世の。夢醒ヶ井の。水掬び 人は妙なる。心覺らん。 |
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第三十二番 | 夜叉身弟兒地藏 | 同町南向ヒ 常樂寺 |
常楽寺 |
咲けば散る。かみがたなれど。撫子の 花の弟兒を。守る御佛。 |
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第三十三番 | 乾闥婆身鯉地藏 | 新京極蛸藥師 蛸薬師寺 |
永福寺/鯉地蔵 |
流れなば。つひに水屑と。なるものを ふくみあたへし。鯉は名も誰そ。 |
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第三十四番 | 阿修羅王身腹帶地藏 | 同所北隣 西光寺 |
西光寺/腹帯地蔵 |
身二つに。分くる誓の。淸ければ 結びし岩田。帶安く解く。 |
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第三十五番 | 伽留羅王身枕反地藏 | 同所錦上 善長寺 |
善長寺/立江地蔵 |
六つの輪の。杖に導く。假の世や 假の枕を。反すにも知れ。 |
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第三十六番 | 緊那羅王身染殿地藏 | 四條京極角 十住心院 |
染殿院 |
いにしへも。いま後の世も。限りなく 救ふ心は。深き染殿。 |
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第三十七番 | 摩喉羅王身目病地藏 | 建仁寺四條 仲源寺 |
仲源寺 |
みるめなき。あまたの人の。歎きには 代り病ふ。法の皆。 |
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第三十八番 | 醫王身鬘掛地藏 | 六波羅堂 六波羅密寺 |
六波羅蜜寺 |
たらちねの。親の屍を。かくしつゝ 鬘掛けしは。賤の女のため。 |
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第三十九番 | 藁草王身夢見地藏 | 八坂塔ノ内 法觀寺 |
法観寺 |
罪なきに。沈む牢屋の。くるしみを 露に喩して。人を救けし。[9] |
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第四十番 | 商人身身代地藏 | 東山靈山 正法寺 |
正法寺 |
かけまくも。かはる御影や。越方の 罪の報ひの。逃れなければ。 |
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第四十一番 | 農人身勝軍地藏 | 同清水本堂 清水寺 |
清水寺 |
名も高き。音羽の山の。軍神 その勳に。御代ぞ治まる。 |
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第四十二番 | 象王身玉章地藏 | 東福寺山内 退耕庵 |
退耕庵 |
花の色。さもあらばあれ。玉章の たえぬ光や。五菩薩の影。 |
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第四十三番 | 獅子王身獅子地藏 | 大佛耳塚前 專定寺 |
専定寺 |
東路の。大井の川の。漲りに 獅子となりてぞ。人渡すなり。 |
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第四十四番 | 牛王身乳房地藏 | 下寺町裏町 福田寺 |
福田寺 |
嬰子を。わきて惠みの。いちじるき 乳房の求め。叶はぬはなし。 |
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第四十五番 | 馬王身駒止地藏 | 下寺町五條 蓮光寺 |
蓮光寺 |
駒止めし。佛はいつか。駒の身と 化しても救ふ。誓ありとぞ。 |
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第四十六番 | 大地形身手引地藏 | 同北隣 極樂寺 |
極楽寺/安産地蔵 |
世を載する。土の姿を。あらはして 菩薩の惠み。限り知られず。 |
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第四十七番 | 山王形身來迎地藏 | 同北隣 新善光寺 |
新善光寺 |
いとゞなほ。仰げばたかし。蘇迷盧の 山の姿と。尊まれぬる。 |
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第四十八番 | 大海形身泥附地藏 | 同北隣 本覺寺 |
本覚寺 |
四十あまり。八つの姿に。めぐりあひて 御法の海の。深きをぞ知る。 |
[1] | 旧本尊の縄目地蔵は昭和37年(1962)に焼失しましたが、令和2年(2020)に復元されました。 現在の本尊は昭和42年(1967)に唐招提寺から移された延命地蔵菩薩立像です。 |
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[2] | 昭和26年(1951)頃の「京都市明細図」を見ると、四条大宮西入北側の中京区錦大宮町115に「更雀寺」があり、昭和52年(1977)に現在地(左京区静市市原町)へ移転しました。 |
[3] | 明らかに「悟眞寺」の誤植ですが、原文通り「語眞寺」と表記します。 |
[4] | 昭和26年(1951)頃の「京都市明細図」を見ると、「悟真寺」は四条大宮西入北側の中京区錦大宮町116にあり、昭和26年(1951)に現在地(右京区太秦東蜂岡町)へ移転しました。 |
[5] | 宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「レンダイジ」の近くに千本通に面して「ジゾウイン」があります。 |
[6] | 明らかに「二十番」の誤植ですが、原文通り「十二番」と表記します。 |
[7] | 「殺生石」と呼ばれる石で造られた鎌倉地蔵は、最初鎌倉に祀られていましたが、信仰の篤かった甲良豊後守宗廣(1574-1646)の夢に現れた地蔵尊のお告げによって、真如堂へ遷されました。 |
[8] | 西院川原地蔵の場所は誓願寺になっていますが、「利生記」では「江岸院際河原地藏」と記されており、正確には誓願寺塔頭の江岸院のものだったようです。 現在は法雲寺にあって子養育地蔵と呼ばれています。 法雲寺は昭和58年(1983)に四条大宮から現在地へ移転しました。 |
[9] | 法観寺の夢見地蔵の額を見ると、明らかにご詠歌が異なります。 理由は不明ですが、「罪なきに・・・」のご詠歌が好まれず変更されたのかもしれません。 また、現在六波羅蜜寺にある元39番の夢見地蔵尊のご詠歌が「罪なきに・・・」だった可能性も考えられます。 |
更新日:2024/05/31