勅祭社
かす が たい しゃ
春日 大社
主祭神
住 所
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備 考三大勅祭:春日祭

 あちこちで愛らしい鹿の姿を見かける奈良・若草山に連なる春日山。 この山一帯を神域とし、全国に3000社余りある春日信仰の総本社としての地位にあるのが春日大社だ。

 創建は8世紀頃。 社伝によれば、平城京が成立した頃に、常陸ひたちのくに(茨城県)にある鹿島かしまから武甕槌たけみかづちのみことが白鹿の背に乗って御蓋みかさやま(春日山)に降臨したことを起源とする。 その後768年に称徳天皇の命により現在の地に社殿を造営。 その際、下総しもうさのくに(千葉県)の香取かとりから経津主ふつぬしのみこと、河内国(東大阪市)の枚岡ひらおかからあめの児屋根こやねのみこと比売ひめがみを迎え、現在のようすが形づくられた。

 天児屋根命と比売神は中臣氏の祖神。 藤原氏はその子孫の一つだ。 春日大社の隣に建っている興福寺は、710年藤原ふじわらの不比等ふひとによって山城国(京都府)から現在の場所へうつされたのを始まりとする藤原氏の氏寺。 平安時代に入って藤原氏が皇室の外戚となると、その勢いは隆盛の一途をたどる。 当時は神仏習合思想が広まっており、法相ほっそう教学寺院とみずからを名乗っていた興福寺は「春日大明神は法相擁護の神である」と唱え、947年に春日大社の社頭での読経を開始。 徐々に両者は一体となり、江戸時代末期まで神仏混交の状態で信仰された。

出所:『日本の神社100選』から抜粋

更新日:2020/05/05