真言宗十八本山 第五番 |
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真言宗大覚寺派 大本山 本尊 |
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大覚寺はその昔、嵯峨天皇が嵯峨離宮として造営された。 天皇は弘法大師とのご親交厚く、大師を招き五大明王を刻せしめ、護国利民を祈らせられた。 淳和太后(嵯峨天皇皇女)は離宮を寺にせんと発願、時の別当菅原道真起草す。 貞観18(876)年清和天皇の勅許があり、淳和天皇第二皇子恒寂入道親王を開祖として「大覚寺」号を賜った。 ご中興後宇多法皇は当寺で4年に亘って国政を親裁なされ、聖誠二十五ヶ条をお遺しになり、皇業恢復を祈られ且つ保寿院御流及び伽藍僧坊を恢興し給う。 その規模の壮大なこと、結構の美は、天下に冠絶していたという。 後亀山天皇は持明院統後小松天皇に神器を授けて南北朝講和を大覚寺で成し給う、南朝の皇統を大覚寺統と呼ぶ。 大覚寺は真言宗大覚寺派の大本山であり、門跡寺院である。
出所:『十八本山巡拝案内記』から抜粋
更新日:2020/01/18