真言宗十八本山 第八番 |
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真言宗泉涌寺派 総本山 本尊 |
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天長年間、弘法大師がこの地に一宇を結び法輪寺と名付けられ、後に仙遊寺と改称された。 その後、建保6(1218)年に月輪大師俊芿律師が中原信房からこの聖地を付与され、後鳥羽上皇に上表して宋の法規に則った大伽藍を造営、この時境内から清泉涌出の瑞があり泉涌寺と寺号を改められた。
開山月輪大師は、幼くして仏門に入り、大志を以って入宋求法、顕密二乗の蘊奥を究めて帰国、泉涌寺に於いて戒律の復興弘伝を計り北京律の祖と仰がれた。 従って朝野の尊信究めて厚く、滅後も境内に四條天皇を始め多くの山稜[2]が造営され、霊明殿には天智天皇以降香淳皇后に至るまで歴代の御霊が奉祀され、皇室の香華院として特別の御崇敬と御殊遇をいただき今日に至っている。
出所:『十八本山巡拝案内記』から抜粋
[1] | 『十八本山巡拝案内記』では山号を「東山(とうぜん)」と記しており、一般にも「東山」または「泉山」とされていますが、ここでは納経帳の表記に従いました。 |
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[2] | 「山陵」の誤記のような気がしますが、原文通り表記します。 |
更新日:2020/01/18