真言宗十八本山 第十番 |
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真言宗山階派 大本山 本尊 |
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千有余年の天安元(857)年の秋、藤原高藤公は山科の地でタカ狩りをしたが、突然の雷雨にあい、雨やどりをした家の美しい少女、即ち宮道(みやじ)列子を後に正室に迎え、その子胤子は宇多天皇の皇后となり、醍醐天皇を生み奉った。 醍醐天皇は宮道宅を精舎とされ、千手観世音菩薩を奉安されて、ここに勧修寺が創建されたのである。
このように、ふとした因縁に依り、一寺院の建立を見たのであるが、単に一ツ二ツの原因でなく、無限の原因に依って結果が生まれたのである。 涅槃經に「善悪の報は、影の形に従うが如く、三世の因果は循環して失わず」と説いており、ここに勧修寺縁起を見ても、因果・因縁の不思議・尊さを知ることが出来る。
大本山勧修寺は、山号を亀甲山と云い、昌泰3(西暦900)年に醍醐天皇が大祖父に当る宇治郡の大領であった宮道弥益の宅を鎮護国家の御願寺とされたのに始まり、千有余年の歴史がある。
出所:『十八本山巡拝案内記』から抜粋
≪山門≫
四季折々の花が咲き誇る勧修寺は、季節が変わるたびに何度でも訪れたくなる所です。 なお、寺名は「かじゅうじ」と読みますが、地名は「かんしゅうじ」と読みますのでお間違いなく。 |
≪観音堂≫
大斐閣(だいひかく)とも称される観音堂には、本尊の十一面観音とは別の観世音菩薩像が祀られています。 |
≪氷室池≫
平安時代には1月2日にこの池に張った氷を宮中に献上し、その厚さによって五穀豊穣を占ったそうです。 池の周囲は氷室園あるいは氷池園と呼ばれる池泉庭園で、池の鴨や鯉と戯れながらまったりと散歩することができます。 |
≪塔頭・佛光院≫
勧修寺のご朱印はこちらでいただきます。 廃寺になっていた佛光院を再興されたのは、悲惨な事件で両腕を失いながら口にくわえた筆で絵や書を描き、身障者の社会復帰に生涯を捧げた大石順教尼(おおいしじゅんきょうに)です。 |
[1] | 『十八本山巡拝案内記』では「やましなのさと」と書かれていますが、納経帳の表記に従いました。 |
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更新日:2020/01/18