二十二社 中七社 |
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時は崇神天皇の時代。 祭神・日本大国魂大神は、天皇によって天照大神とともに国土の守護神として宮中にまつられていた。 しかし、この二神の力の強いことを恐れた天皇は、同じ敷地内に両者をまつることに不安を覚え、2人の内親王にそれぞれの神を託した。 日本大国魂大神はその1人、淳名城入姫命に託されて穴磯邑(大和郷)にまつられることになった。 それが大和神社の起源だとされる。
『日本書紀』によれば、淳名城入姫命はその後、髪が抜け、やせ細ってしまい、まつることができなくなったとのこと。 神の霊力の強さが感じられる。 その後、いくつかの地を経て、現在の地に鎮座したようだ。
境内は広大で森に包まれている。 面積は76万平方メートル、東京ドーム16個分に相等するというから驚きだ。 現在の神域は、一の鳥居から西へ約270メートルの参道が続き、その先に社殿が広がる。 細長い壺のような形状をしているが、かつては800メートル四方を超える広さがあったといい、「四至の固め」として神域の四隅それぞれに境界を守る神社があった。
出所:『日本の神社100選』から抜粋
更新日:2019/04/30