二十二社
下八社
うめの みや たい しゃ
梅宮 大社
主祭神
住 所
電 話
URL
備 考

 奈良時代に政治的な要人として活躍したたちばなの諸兄もろえの母が、一族の氏神としてまつったことが始まり。 元は、現在の京都府南部、綴喜つづき郡井出町付近にあったが、平安時代に入って、一族の血を引く嵯峨天皇の妃・たちばなの嘉智子かちこ檀林だんりん皇后こうごう)が現在の地にうつしたという。 当時、嘉智子は盛大な祭儀を行ない、神前で雅楽を奉納。 この祭が4月上旬のとりの日に行なわれたことにちなんで、現在でも4月の第3日曜に桜祭と題した雅楽祭を行なっている。

 祭神・大山祇おおやまずみのかみ木花咲耶姫このはなさくやひめのみことの父神。 娘婿である瓊邇杵ににぎのみことの国づくりにひとかたならぬ協力をした神だ。 酒解さかとけのかみの別名からもわかるように酒造の神としても知られる。 娘・木花咲耶姫命はたいへんな美貌の持ち主として有名だ。 瓊邇杵尊の妃となってすぐ一夜にして懐妊したことから、御子の父は誰かと疑われる。 その疑いを晴らすべく、産室に火を放ち、燃え盛るなかで御子を出産するという激しいエピソードの持ち主で、その際に誕生したのがひこ火火出見ほほでみのみことというわけだ。

出所:『日本の神社100選』から抜粋

更新日:2019/02/11