二十二社 下八社 |
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厄よけの神として知られる吉田神社。 毎年、節分を挟んで前後3日間にわたって行なわれる節分祭は全国的に有名で、各地から訪れる数十万の参拝者で大にぎわいとなる。 吉田神社は、859年に中納言・藤原山蔭が、藤原氏の氏神である春日大神を奈良・春日大社より分け移して創建。 春日大社、大原野神社とともに藤原氏の氏神三社に数えられる。 また山蔭の孫娘の子・詮子が一条天皇の生母となってからは公祭に関わるように定められ、以降、朝廷からも尊崇を受けた。
吉田神社の建つ吉田山は標高100メートル余で、丘という風情。 神が集まる岡という意味の「神楽岡」とも呼ばれ、古くから神聖な場所だったという。 吉田山の西側の斜面が神社の境内だ。 京都大学の正門の前を通り、一の鳥居、二の鳥居をくぐって石段を登ると平たく開けた土地があり、春日大社の本殿を小さくしたような、同じ四殿造の本殿が建つ。 そこを含め山頂までがすべて神域。 山道を歩くと摂社・末社が多く建つ。 境内右手の坂を行くと、山蔭をまつる山蔭神社。 山蔭は日本で初めて食べ物を調理したといわれる人物であることから、古来、包丁の神として飲食業者の参拝が多い。
出所:『日本の神社100選』から抜粋
更新日:2019/02/11