二十二社 下八社 |
|
|
『日本書紀』にその起こりが記されている廣田神社は、神功皇后が三韓出兵から戻った際に天照大御神の神託を受け、大神の荒御魂を武庫の地・廣田の国にまつったのが始まりだという。 荒御魂とは神の魂の一つ。 神は二つの性格をもっていると考えられており、荒御魂とは、その名のとおり、荒々しい一面。 たたりなど神威を現わす魂だ。 いっぽう、和魂とは温和な魂で、人々に平安をもたらす霊力だ。 日本にはもともと自然崇拝の考え方があり、この二面性はそれにも通ずる。
廣田神社にまつられているのは、この荒御魂。 神功皇后の新羅との戦いを勝利に導いたことから、勝運、開運隆盛、立身出世のご利益があるとされ、地元球団、阪神タイガースが毎年必勝祈願に訪れることでも有名だ。
廣田神社は古来、国家鎮護の神として厚く信仰された神社で、平安京の西の方角にあたることから中世の貴族からは「西宮」と呼ばれていた。 平安時代の百科事典『伊呂波字類抄』や『古事記』の注釈書で本居宣長の著した『古事記伝』にも廣田神社を「西宮」と称したことが記載されている。 また中世には国家の神事を行なった神官や、公家、五山の僧侶たちが「西宮参拝」と称して、頻繁に神社を訪れては参拝していたことがさまざまな和歌や漢詩などにも残されている。
出所:『日本の神社100選』から抜粋
更新日:2019/04/30