法然上人二十五霊場 第二番 |
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浄土宗 本尊 阿弥陀如来 |
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法然寺は、建永二年(一二〇七)に、法然上人が御年七十五歳で四国に流されてお住みになった小松庄生福寺の遺跡である。 ここを高松藩祖松平頼重公が復興して代々の菩提寺としたものである。
徳川家康公の孫であり、水戸の徳川光圀公の実兄にあたる頼重公も、法然上人を追慕して浄土宗に帰依し、高松入国ののち、寛文八年(一六六八)六月、竹井斉庵を奉行として、工を起こした。 六万五千余坪を劃し、三十三門、二十四宇の仏閣僧坊を建立し、寛文十年(一六七〇)正月二十五日落慶供養が行われた。
法然上人自作の阿弥陀仏および上人の真影を本堂に安置し、また上人と松平家の廟塋を山頂に築いて般若台と名づけた。 その壇下に来迎堂を設けて、弘法大師自作の阿弥陀如来ならびに二十五菩薩を祀り、不断常念仏会を行わせられた。
また、三仏堂には、お身たけ一丈六尺の涅槃像(日本三大涅槃像)が安置され、その周りには悲しむ菩薩、天部、羅漢、弟子たちをはじめ鳥獣に至る五十二種の彫像がある。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
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≪三仏堂(涅槃堂)≫
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≪涅槃像≫
「讃岐の寝釈迦」として有名な釈迦涅槃像を中心に52種類の仏・人物・鳥獣像が並び、釈迦入滅の風景をほぼ実物大の3Dで再現しています。 スゴイ!! |
更新日:2019/06/06