法然上人二十五霊場 第三番 |
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浄土宗西山禅林寺派 本尊 阿弥陀如来 |
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当寺は元祖法然上人讃岐へご左遷の途次この浦辺で漁夫を教化された霊跡で二十五霊場中の第三番札所である。
寺伝によれば嵯峨帝弘仁六年(八一五)弘法大師中国へ渡航の際霊感により無事帰国地蔵十輪経の教旨にのっとり勅を報じて鎮護国家の祈願所として創建し地蔵山十輪寺と号した。
その後約四百年を経た建永二年(一二〇七)法然上人配所讃岐への途中この港に立ち寄られ数多の人を化益され、ことに漁夫の八田治部太夫の老夫婦は近郊の人達も驚くほどの念仏行者となり、奇瑞を現じて大往生を遂げたということで、今も御影堂の南側にこの老夫婦の墓石がある。 後に信寂房は上人を崇めて中興第一世とし、自らを第二世とし寛元二年寛性房に譲り第三世とし、以来浄土宗西山派の流れを汲み、現今は西山禅林寺派に属している。
のち大永七年(一五二七)大阪堺の十万上人讃岐小松の庄生福寺に詣で、法然上人自画賛宝瓶の御影を得て、その帰途当寺にこれを奉納して今もそれを安置している。 この時以来地蔵山を宝瓶山と改めた。 本堂は県指定重要文化財で元禄年間に再建、一風変わった山門は高砂市指定文化財で大坂大念仏寺の表門を模して享保年間に建立された貴僧門という。
また、天明二年華頂宮尊峰法親王は、今も山門に掲げてある「宝瓶山」の扁額と、かずかずの荘厳具を寄進された。
境内にある宝筐印塔は、俗に高麗仏と称し、文禄年間豊公朝鮮出兵に、当地より参加して陣没した九十六舟子の墓ある。
寺宝中の絹本着色五仏尊像は、この種の逸品として国の重文に指定され、その他張思恭恵心等の物数多所蔵している。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
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更新日:2015/03/03