法然上人二十五霊場 第四番 |
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浄土宗 本尊 阿弥陀如来 |
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珠光山遍照寺如来院と号する。 初め神崎(現在の尼崎市神崎町)にあって神崎釈迦堂と称せられ、天平年中行基が勅願により開基した四十九院中の一院と伝えられる。
建永二年(一二〇七)法然上人讃岐の国へ遠流の途中、この地につき給い、しばしの泊に教化の座を設けられた。 多くの遊女のうち宮城ら五人は罪業深きを懺悔し、上人にお念仏を授かり、声高らかにお念仏を唱えながら入水往生をとげた。 上人は懇ろにこれを回向されて旅立たれた。 同年十二月勅免によって帰洛のさいも、この釈迦堂で遊女のために回向を修せられた。 この時道俗多く集まり上人の徳を仰ぎ、長く釈迦堂におとどまりを乞うたが、勝尾寺へぜひ登らなければならぬとて、代わりに高弟の湛空をここにとどめられ、村人の願いを容れて湛空が作った上人の坐像を残し置かれた。 それが今安置の御影である。 永正十七年(一五二〇)尼崎城主細川高国が城内に移せしのち現在の地に移されたもので、中興改宗開山として法然上人を仰ぐ。
上人の遺物・遊女の遺髪のほか、嘉暦二年(一三二七)の供養碑や応永三十二年(一四二五)銘の梵鐘など、寺宝が多い。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
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≪本堂≫
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更新日:2015/03/03