法然上人二十五霊場 第八番 |
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西山浄土宗 本尊 阿弥陀如来 |
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慈雲山と号し大川寺(おおかわでら)ともいう。 承元元年(一二〇七)十二月、法然上人赦免の後讃岐の配所から御帰りの際、海上が荒れたのでこの袖が浜に漂着されたのである。 この時、土豪孫右衛門や村人が、上人の慈顔温容を拝し、本願念仏の御化益を蒙り帰依渇仰して措く所を知らず、上人のお帰りをおし止めて名残を惜しんだので、その志を感ぜられ、自ら姿をうつし刻まれ、開眼の上これを浦の人達に授けられた。 なおこの余材で百万遍の大念珠をお作りになった。 この尊像を安置申すために建てた堂宇がこの報恩講寺の縁由である。 上人の慈恩に報い奉るとは実にその名もゆかしい限りである。 今は西山浄土宗に属している。
後世和歌山の報恩寺と区別するため講の一字を加えたという。
寺宝として、恵心僧都筆と伝える浄土曼陀羅、上人筆と伝える名号等がある。
なお、法然上人二十五霊場は宝暦十三年(一七六三)、上人五百五十回忌を記念して制定されたが、その当時制作された額等によると報恩講寺の御詠歌は、
極楽も かくやあらまし あらたのし
はやまいらばや 南無阿弥陀仏
となっている。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
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更新日:2015/03/03