法然上人二十五霊場 第十一番 |
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華厳宗 大本山 本尊 盧舎那仏 |
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東大寺は聖武天皇の勅願により建てられた。 聖武天皇の発願・『華厳経』に説く光明遍照のほとけ「盧遮那仏(るしゃなぶつ)」は天平二十一年(七四九)に完成、その後国家を鎮護する寺院として七堂伽藍が整った。 しかし治承四年(一一八〇)、平重衡の兵火により大仏殿や多くの伽藍が焼失した。
この復興にあたったのが、俊乗房重源(ちょうげん)上人(一一二一〜一二〇六)。 後白河法皇の院宣(いんせん)を後ろ盾とし源頼朝の援護を受けて天平創建当初と同規模の伽藍復興を成した。 重源上人は真言を学び山野で修業を重ね、日本各地の霊峰や聖地を廻り、後、自らの念仏集団を形成された。 この間中国に三度渡り、復興事業にかかわる技術集団との関連を固めた。
法然上人は建久元年(一一九〇)、再建途上の東大寺で重源上人の招請により、重源上人が持ち帰った善導大師の影像を前に、浄土三部経を講じたという。 時に重源上人七十歳、法然上人五十八歳であった。
平安期創建の中門堂は永禄十年(一五六七)に大仏殿と共に焼失し、百年余空地であった。 江戸初期の大仏殿復興時、この地に大きな「指図(大仏殿の設計図画)」を展示するお堂が建てられた。 これが「指図堂」の由来である。 寛政三年(一七九一)、お堂は大風により倒壊、その後浄土宗関係者から「法然上人ゆかりの霊場ゆえ、上人画像を本尊とする堂宇を再建したい」との願出が東大寺に出され、浄土宗徒の喜捨を受けて嘉永五年(一八五二)頃完成した。 それが現在の指図堂である。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
≪指図堂≫
大仏殿のすぐ西隣にあり、「圓光大師二十五霊塲」の碑が目印。 令和4(2022)年1月〜令和5(2023)年3月の予定で半解体修理が行われています。 |
≪本尊・法然上人画像≫
「草履を履いている法然上人は珍しい!!」そうです。 |
更新日:2022/03/26