法然上人二十五霊場 第十二番 |
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浄土宗 本尊 阿弥陀如来 |
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承安五年(一一七五)、法然上人が浄土宗を開かれた年の春、念仏弘通を願って伊勢神宮に参拝されました。 七日目の朝のこと、念仏する上人の前に大きな日輪が現れ、その中に金色で弥陀の名号が書かれて光を放っていました。 これは念仏弘通が神慮に及ぶことを観見され大いに喜ばれ、末代の証とするためにその相を写しとって、外宮の宝殿に納められました。 その後、兵火で宝殿は焼けたが、唯ひとつこの日輪の名号だけは火中より飛び出して、篠の葉にかかって光はなっていたと伝えられ「篠の葉の名号」とも呼ばれ、また神仏混淆の大日輪であることから、「本迹不二の御名号」とも呼ばれ、当寺に奉納されています。 本願念仏の最初の御名号として尊ばれている。
御自作「法然上人満月の像」は法然上人が建永二年(一二〇七)、七十五歳で讃岐へ流罪となった際、昔日に伊勢神宮に参詣し念仏の不可思議を感得されたことを思い出し、神恩報謝も流罪の身では何も出来ないので自ら木像を作って伊勢神宮へ納めようとしました。 しかし御像は伊勢へ送られる途中、大阪の専念寺に留まっていました。 およそ四百年を過ぎた天正十九年正月に専念寺の頂誉上人が「伊勢欣浄寺へ像を送るべし」との夢告を受け、弟子西運に命じて御像を欣浄寺へ送られました。 一方欣浄寺の住職断誉上人も十五日の夜に、満月がおりて来て本堂の壇上に入った夢を見、不思議に思っているところ御像が届いたといいます。 上人の御遺徳をしのび「法然上人満月の像」として安置されています。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
大変悲しいことに、令和3年(2021年)7月8日の火災で本堂と庫裏が全焼してしまいました。 令和4年(2022年)4月から仮本堂での参拝が再開されましたが、事前予約制になっていますので、ご注意ください。 |
≪本堂(焼失前)≫
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更新日:2022/03/26