法然上人二十五霊場 第十四番 |
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浄土宗 本尊 法然上人 |
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当寺は小松内大臣平重盛(たいらのしげもり)公の別邸で、小松殿(こまつどの)と称し、四十八の灯籠を点して、念仏行道とした灯籠堂のゆかしい道場である。 平家没落の後、九条関白兼実公の山荘となり、月輪御殿造営の時、別に堂を建立し、法然上人を招き、法談を聴かれ、遂に建仁二年(一二〇二)正月、剃髪された旧跡である。 また元久二年(一二〇五)上人瘧病(おこり)に悩まされた時、兼実公の命をうけて聖覚法師が特殊の修法で現証を顕わし、上人は終焉の地と思われ「千歳ふる小松のもとをすみかにて無量寿仏のむかへをそまつ」と詠ぜられた上人に最も御縁深き遺跡である。 上人は久しく当寺に住まわれたが、御歳七十五歳の時、配流の身となり讃岐(香川)へ御左遷の時、当寺から出立されたという。
その後、応仁の兵乱によりいったんは廃絶したが正徳年中(一七一一〜一七一五)華頂山の義山上人およびその弟子恵空上人によって復興され、兼実公の末裔九条内大臣植基公により河原御殿の下付を受け移して堂舎とした。 今の大師堂、庫裏がこれである。 後、延享・宝暦にわたり阿弥陀堂、三門、鐘楼堂などが完成、東山の名刹となった。 阿弥陀堂は法王殿と称し、丈六の弥陀三尊の大像を安置し、大師堂に奉安する法然上人の像は、上人配所より帰洛の時、結縁の記念とし、自作の像を信者に遣わされたものを、当寺再興の時、霊夢によってここに迎え、本尊としたのである。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
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≪本堂(大師堂)≫
境内は園児たちの遊び場になっており、本堂の中まで園児たちの元気な声が聞こえてきます。 |
更新日:2015/03/03