法然上人二十五霊場
第十六番
ほうこくさん ねんぶつざんまいいん こうみょうじ
報国山 念仏三昧院 光明寺
西山浄土宗 総本山
本尊 阿弥陀如来
御詠歌つゆの身は こゝかしこにて えぬとも
 こゝろはおなはなのうてなぞ
住 所
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備 考通称:粟生光明寺

 粟生の地は法然上人が最初に念仏のうぶ声をあげられた浄土門発祥の地である。 法然上人は二十四歳の時、求法のため奈良へ向かわれる途中、粟生の里の茂右衛門宅に一夜の宿を借られたのが縁となり、承安五年(一一七五)の春、御年四十三歳立教開宗のみぎりには、まずこの地に来り、茂右衛門夫婦を教化されたと伝えられる。

 当山はもと、源氏の武士熊谷次郎直実が建久九年(一一九八)に創建したものである。 直実は法然上人の導きにより出家して蓮生(れんせい)房と号し、上人のお勧めをうけてこの地に堂を建て念仏三昧院となづけ、法然上人を開山第一世に仰いで、念仏の生活を送った。

 法然上人御入滅の後十六年を経た嘉禄三年(一二二七)、上人の御墳墓をあばこうという企てのあることを知った弟子達は、上人の御遺骸を嵯峨に移し奉ったが、翌年正月、上人の石棺より光芒を放って粟生の地を照すという奇瑞が現われ、さっそくこの地に御遺骸を移し荼毘に付し、廟堂を建てて御芳骨を奉安した。 この奇瑞に因んで四条天皇より仁治三年(一二四二)光明寺の寺額を賜り、寺号を光明寺と改めた。 正親町天皇よりは永禄六年(一五六三)「浄土門根元之地」の綸旨を賜った浄土一宗の御本廟である。

 御影堂には法然上人七十五歳、御流罪のおりに船中で作られた御自作「張子の御影」をおまつりしている。

 境内地は一万八千坪、一山をいろどる楓は洛西随一の景勝としてその名が高い。

浄土門ここにはじまる照紅葉 野風呂

出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』

更新日:2015/03/03