法然上人二十五霊場 第十七番 |
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天台宗 本尊 釈迦・阿弥陀如来 |
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本院は、本尊に阿弥陀如来と釈迦如来(鎌倉初期、春日仏師作、重文)の二尊を祀ってあるところから、この名がある。 昔は天台、律、法相、浄土の四宗兼学の道場であったが、今は天台宗延暦寺(比叡山)に属している。
嵯峨天皇(八〇九〜八二三)の勅願によって、承和年間(八三四〜八四八)に慈覚大師の創立にかかる。 後荒廃し、法然上人が再興、常行念仏堂として法を説き、関白九条兼実公を始め、当時の貴顕の信望を集められた。
元久元年(一二〇四)十一月三日比叡山大衆が会合して座主真性に、専修念仏停止(ちょうじ)を訴えたのに対して、法然上人が外に衆徒の蟠(わだかまり)を解き、内は門弟の僻見を誡めんがために、座主に起請を呈し、さらに門弟百九十人の連署をもっていわゆる「七個条起請文」の各条目を厳守せしめられた。 現にその原本(宗宝・重文)が当院に保存されている。
嘉禄の法難(上人滅後十六年)には門弟ひそかに相謀って、御遺骸を当院におかくしした。
高足湛空は上人芳躅を追慕し、貞永二年(一二三四)雁塔を建立して粟生野の幸阿のもと(後の光明寺)から上人の御分骨を迎えてお納めしている。
九条兼実公が宅間法眼に写させたという、有名な法然上人足曳の御影(重文)、上人が重源に命じ宋から請来せしめられたという、国宝浄土五祖像[1]等、上人に由緒深いものが多く蔵されている。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
≪総門≫
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≪本堂≫
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[1] | 現在、絹本著色浄土五祖像は重要文化財に指定されています。 |
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更新日:2015/03/03