法然上人二十五霊場
第十九番
ごく らく でん ゆう こく さん ほう ねん じ
極楽殿 熊谷山 法然寺
浄土宗
本尊 法然上人自作尊像
御詠歌たゞたのめ よろづのつみふかくとも
 わが本願ほんがんの あらんかぎりは
住 所
電 話
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備 考

 当寺は熊谷蓮生房(れんせいぼう)の開基にして、法然上人を開山とする。 蓮生房、入道以後京都にあって、常に上人の教化を蒙ったが、関東下向に際し上人との別れを惜んで、上人の真影を懇望したところ、上人御自ら影像を彫刻して与えられたので、蓮生は悦んで故郷熊谷に供奉し尊像供養した。 後霊告によって再び京都に護持し、建久八年(一一九七)五月、錦小路東洞院西にあった蓮生の父直貞の旧館の地に一寺を建立し、右の尊像を安置したのが当時の由来である。 正応年中伏見天皇の行幸があり、「極楽殿」の宸廟並びに御物数点を下賜あらせられる。 その後応仁の兵火に堂宇尽く烏有に帰し、足利義正の扶助によって再建、天正年中秀吉の命により下京区寺町仏光寺に移り、昭和三十六年現地に移る。 後奈良天皇の御不予の際勅願所となる。 天明・嘉永・明治と三度焼失。 寺宝に上人肉牙の御舎利、蓮生房の自像、敦盛の母衣名号、鎧の灯籠など懐古のよすか[1]となるものが多い。

出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』




[1]現在は「よすが」と言いますが、古くは濁らずに「よすか」と言ったようです。

更新日:2015/03/03